旧世界への伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 11:05 UTC 版)
1492年、クリストファー・コロンブスが新大陸を発見した際、キューバ島の現地のカリブ人が栽培していたトウモロコシを持ち帰ったことでヨーロッパに伝わった(コロンブス交換)。ほぼ即座に栽培が始まり、1500年にはセビリアにおいて栽培植物としての記録が残っている。経緯は不明だが最初の大規模栽培はトルコ(オスマン帝国)から始まり「トルコ小麦」と呼ばれた。目新しい植物であるトウモロコシは18世紀初頭まで十分の一税の対象となっておらず、粟と転換する形で急速に伝播した。 16世紀半ばには地中海沿岸一帯に広がり、16世紀末までにはイギリスや東ヨーロッパにも広がってヨーロッパ全土に栽培が拡大した。ヨーロッパにおいては当初は貧困層の食料として受け入れられ、それまでの穀物に比べて圧倒的に高い収穫率は「17世紀の危機」を迎えて増大していた人口圧力を緩和することになった。また、大航海時代を迎えたヨーロッパ諸国の貿易船によってこの穀物は世界中に瞬く間に広がり、アフリカ大陸には16世紀に、アジアにも16世紀初めに、そしてアジア東端の日本にも1579年に到達している。この伝播は急速なもので、1652年にアフリカ南端のケープタウンにオランダ東インド会社がケープ植民地を建設した際、既に現地のコイコイ人には陸路北から伝播したトウモロコシが広まっていた。 アフリカにおいては伝播はしたものの、19世紀に至るまではソルガムなど在来の作物の栽培も多かった。しかし19世紀後半以降、鉱山労働者の食料などとしてトウモロコシの需要が増大し、また労働者たちは出稼ぎを終えて自らの村に戻った後も慣れ親しんだトウモロコシの味を好むようになった。さらに、トウモロコシはソルガムよりも熟すのが早いため、従来の端境期においても収穫することができた。このため、特に東アフリカや南部アフリカにおいてソルガムからトウモロコシへの転換が進んだ。しかしトウモロコシはソルガムに比べて高温や乾燥に弱かったため、サヘル地帯などの高温乾燥地帯では旧来の雑穀を駆逐するまでには至らなかった。 なお、一般には前述のクリストファー・コロンブスによって旧世界に持ち帰られて広まったとされているが、コロンブス以前に既に旧世界に存在しており、12世紀のアフリカ、13世紀のイベリア半島(スペインやポルトガル)で栽培されていたとする研究がある。古代ポリネシア人が太平洋を越えてアメリカの産物や技術をアフリカへ移動させ、その中にトウモロコシも含まれていたという説もある。
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