日本通運との事業統合について
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「郵便事業」の記事における「日本通運との事業統合について」の解説
民営化から間もない2007年10月5日、日本郵政と宅配便業界第3位の日本通運が、宅配便事業の統合を含めた包括的な業務提携を結ぶことで合意し、基本合意書を締結したことを発表した。 その時点での合意事項は以下の通り。 2009年4月1日を目処として郵便事業会社と日通の出資により新会社を設立し、両社の小包・宅配便事業(「ゆうパック」「ペリカン便」)を移管 出資比率とブランドの扱いについては法人発足までに日本郵政と日通の間で調整 日本郵政と日通の間で相互に株式を持ち合うことも検討 2008年8月28日には、株主間契約の締結について合意に達したことが発表された。それによると、 既に折半出資で設立(2008年6月2日付)されている「JPエクスプレス株式会社」を承継会社とする吸収分割により2009年4月1日に「ゆうパック」事業と「ペリカン便」事業を統合する。 出資比率は郵便事業66%、日本通運34%とする(2009年4月1日時点)。 この事業統合の狙いは、効率化を図り業界内での競争力を高め、圧倒的なシェアを誇るヤマト運輸や佐川急便と対抗する点にある。両社は旧公社時代からコンビニエンスストアでの「ゆうパック」の集荷やスキー・ゴルフ用具の配送などで連携してきた経緯がある。 日本郵便は全国各地の郵便局ネットワークを生かした物流網を持ち過疎地などでの配送に強い一方、郵政三事業が解体されたことで貯金・保険の儲けで郵便の赤字を埋めることができなくなり、新たな収益源を求めていた。他方、日通は企業向けの配送に強いが宅配便事業では遅れをとり、会社全体の足を引っ張る格好となっていた。今回の統合は互いの長所で互いの短所を埋め合わせるものとなったが、ヤマト運輸などは民営化された現在でも「民業圧迫だ」としてJPグループを批判しており、公正取引委員会などに異議申し立てが行われた場合、統合が白紙撤回される可能性もあるだけに今後具体化される統合計画の中身が注目されている。ゆうちょ銀行とかんぽ生命の場合と異なり、郵便事業・郵便局に関しては現時点では完全民営化の予定は無く、一定の割合で国が関与することになっている。 しかし、システム統合などに手間取ることから、2009年4月1日のJPエクスプレス (JPEX) の事業開始時点では、日通の当該部門のみを移管し、JPEXでの約半年間の暫定ブランドとして「JPエクスプレス宅配便・ペリカン便」を使用し、2009年5月末までを目処に統一ブランド名を設定した上で(ただし、2009年5月31日時点で、統一ブランドを含めた10月以降の対応については公表されていない)、2009年10月1日までに郵便事業側の荷物の部門を移管し、「JPエクスプレス宅配便」としての統合ブランドでサービスを行うことを予定していたが、2009年9月11日の時点で総務大臣の裁定が見込めないことから、同時点では統合スケジュールは未定となっていた。ただし、2009年10月より、ペリカン便に関わる一部の集配業務を郵便事業が受託する方式をとる形となったため、それを統括するJPエクスプレスの「広域支店」という組織が新たに各地に配置され、概ね郵便事業の統括支店(一部地域では、JPEXのターミナル店である「統括支店」)に併設されていた。なお、北九州支店や川崎港支店など、郵便事業の統括支店であっても、JPEXの広域支店を併設せず(かつ、JPEXの統括支店にも併設しない)、別の郵便事業統括支店に併設された広域支店が管轄(北九州支店の集配エリアであれば、新福岡支店に併設する「福岡統括支店福岡広域支店(福岡)」、川崎港支店の集配エリアであれば、横浜神奈川支店に併設する「神奈川統括支店神奈川広域支店(横浜)」がそれぞれ管轄する、等)する事でカバーするケースもあった。 その後、統合のスキームは、JPEXの事業を郵便事業会社に統合する形に変更され、2010年7月1日付でJPEXの宅配便事業と郵便事業の「ゆうパック」との統合を実施。同年8月31日付でJPEXは解散し、清算法人に移行した。 詳細はJPエクスプレス及びゆうパックを参照。
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