日本語以外の食前の挨拶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 10:16 UTC 版)
「いただきます」の記事における「日本語以外の食前の挨拶」の解説
食前の挨拶としては、例えば Bon appétit!(仏、英), Buon appetito! (伊), Guten Appetit! (独)(いずれも直訳は「良い食欲を」)、Eet smakelijk!(蘭、「おいしく召し上がれ」の意) などがある。これらは、本来的にはこれから食べようとする相手へかける言葉であり、「いただきます」とはやや性格を異にする。日本語だと「召し上がれ」に近く、たとえばレストランなどでは給仕が客にこのように声をかけることがある。大抵の場合は「いただきます」と同様の使い方をしてコミュニケーションに齟齬をきたすことはないが、意味の違いに注意が必要である[要出典]。 「いただきます」の独自性と、共通性 しばしば、「いただきます」という挨拶は、(意味内容や、一語だという点で)「日本語独自のものである」と言われる。 英語には(一語で)「いただきます」に直接的に対応する言葉はなく、(近年の)アメリカの中学生を対象とした挨拶の調査では、食事の挨拶に特に定型句はないということであった。(たしかに「いただきます」のような一語の言い方で相当するものは、ほぼ無いが)だが、あえて言えば、類似の習慣としては、クリスチャン(キリスト教徒)が食事の前(後)に、手を組んで神ヤーウェに対して直接的に、まるで親しい人と会話をするように、(目を閉じて、声を出して、あるいはしばしば声を出さずに心の内の自身の声で)感謝の気持ちを伝えるための、いくつかの文から成る挨拶の文章、がそれに相当する。(第三者が「(クリスチャンの)食前の祈り blessing」と呼んでいる行為の時に、クリスチャンが(おおむね定型的に)心の内でヤーウェに対して語りかけている文章全体が、日本語の「いただきます」という短い言葉に相当する。) →#キリスト教 (このように、クリスチャンに限れば おおむね相当する習慣があるわけだが、かつては欧米の人々のほとんどがクリスチャンであって食事のたびに感謝の文章を内心で言っていたが、近年では欧米でもクリスチャンでない人々(非クリスチャン)が増えてきているので、そういうたぐいの人々(欧米人だが信仰心の薄い人々)は、食べ物を前にしても何の感謝の気持ちも抱かずにいきなり食べ始めてしまう傾向があるので、そういう人々には「いただきます」に相当する習慣がほぼ無いと言ってもいい、という状況となっている。) 中国語においても「いただきます」に直接的に対応する言葉はなく、直訳すると「我吃了」「我吃好了」などとなるが、状況によっては不自然となる場合があり、例えば日本のドラマを中国語に翻訳する際に、一人で食事をしている人の「いただきます」をこのように直訳すると、中国人の視聴者に違和感を与えてしまう。また、苗族と布依族を対象にした調査では食事前後の挨拶はないという。 ブラジルにおいても「いただきます」に相当する言葉(一語)はなく、そのかわり、「Vamos comer(さぁ、食べよう)」という言葉とともに食事を開始する。ブラジルの日系人はかつては「いただきます」を言う習慣があったが、現在は世代の進行と混血により日本語を話すことが少なくなり「いただきます」も行われることがなくなりつつある。 セブアノ語(ビサヤ語)ではManga-on na ta!が対応するという研究がある。 また、ベトナムでのフィールドワークにおいて、各人が食前に家の人・周囲の友人に「戴きます」と一言述べてから食事を始めるという報告がある。
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