日本語と思考技術:述語制言語と主語制言語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:10 UTC 版)
「資本経済」の記事における「日本語と思考技術:述語制言語と主語制言語」の解説
日本語に主語はない、使役と受動は連続している、と金谷武洋は明示する。主語・述語・コプラがあるとするのは欧米文法の適用であって、日本語に属した文法体系ではない。主語を消せ、と三上章は主張した。欧米の憲法や文学の翻訳の中で、「ハ」が主要に出現しその上に配置される語が主語であるかのような錯誤がなされた。人称もないと佐久間鼎は論じている。日本語の特徴は、格助詞、助動詞にある「き・けり・ぬ・つ・たり」などの助動辞が「た」一本になってしまったと嘆く藤井貞和は日本語の助動辞の文法を体系化した。山本哲士は、金谷、藤井、浅利誠(格助詞論)、三上章、佐久間、松下大三郎をもって「述語制言語」の概念を実定化し、さらに資本経済、環境場所経済は述語制経済であると論じている。日本語の言語資本の見直しが資本経済には欠かせないのも自らなしていながらその認識・認知が消失してしまっている言語思考様態が経済、文化、政治に作用してしまうからだ。主語があると認知しての思考・動作と、主語はないと述語認知しての思考・動作はまったく異なってくる。 対比・対立は、双方の根源にある共通地盤を明らかにしうることであって、一方のみを価値づけたり優位にすることではないし、弁証法的に統合することでもないとした、構造論的な転回からの思考が要される。資本経済とは、場所、パブリック、プライベート、「もの」、互酬性・対抗贈与、述語制、ホスピタリティといった原理・技術からなされており、現実に実際に働いていることだ。しかし商品社会経済の一元化による連鎖は、これらを抽象化し等価交換を平等へ適応して規範化して、文化基盤を喪失させていく傾向をもつゆえ、商品生産の地盤にある資本経済を自覚・認知しふまえて、その双方の相反性を多元均衡させることである、前近代と近代との均衡をはかることであって、近代一元化への反省的省察がなされていくことだ、と文化資本学会、資本開発学会は述べている。
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