日本格闘技界との交流と日本人選手とは? わかりやすく解説

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日本格闘技界との交流と日本人選手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 10:21 UTC 版)

ラウェイ」の記事における「日本格闘技界との交流と日本人選手」の解説

2004年4月Myanmar Traditional Boxing FederationMTBF)より依頼され総合格闘技団体パンクラス尾崎允実代表を介し全日本キックボクシング連盟協力の元、日本ミャンマー交流始まり初めての交流戦2004年7月10日11日2日間に分けてヤンゴン国立競技場にて開催された。 当時の様子株式会社レッシング制作テレビ朝日系列報道ステーション」で紹介され瞬間最高視聴率18%を超えた当初は5対5の予定だったが、選手怪我の為4名となり、「ミャンマーVSジャパン4対4対抗戦」と銘打たれ団長外国人初のムエタイ殿堂ラジャダムナンスタジアム認定王者藤原敏男迎え80年代最強ファイターとも言われ和術慧舟會総帥西良典元修チャンピオン田中塾長田中健一という夢の布陣率いられ、4選手新美吉太郎若杉成次、田村彰敏山本武晴)が参戦し、1勝2敗1分の結果残した2005年9月11日長崎平和記念ホール西良典主催開催された「Kushima's Fight10」で日本に初上陸し2試合が行われた。(1敗1分)※以下全て日本勝利その後2006年3月7日新宿FACE「Kushima's Fight12」、2007年8月19日ディファ有明「J-Lethwei」共に西良典主催ミャンマーよりラウェイ選手日本招聘され計8試合が行われた。(1勝6敗1分) 2009年5月2、3日ヤンゴン・トゥワナ国立室内競技場に日本人4選手寒川直喜陣川弘明紅闘志也、クレイジー・ヒル)参戦。(2敗2分) 2011年8月1314日ヤンゴン・テンピュースタジアムに日本人4選手寒川直喜CRAZY884紅闘志也篠原基宏)参戦。(1敗3分)) 2013年9月21日ヤンゴン・テンピュースタジアムに日本人2選手寒川直喜藤原あらし参戦。(2分) 2016年2月14日ヤンゴン・テンピュースタジアムに日本人2選手金子大輝NAOKI[要曖昧さ回避])参戦。(2敗) 2016年9月11日沖縄ネーブルカデナアリーナ「ZONE5」で初の日本人同士ラウェイ公認試合開催。(金子大輝アイアンホース田中2016年に、ファースト・オン・ステージ代表の中村祥之が、ミャンマーラウェイ統括団体であるMyanmar Traditional Boxing FederationMTBF)より、ミャンマー人以外で初となる、1年間有効の「ラウェイプロモーターライセンス Grade-A」を取得同年10月27日後楽園ホール大会皮切りに本格的にラウェイ興行展開していくこととなった。それに先駆け[ミャンマー本国から公認され統括組織として一般財団法人インターナショナル・ラウェイ・フェデレーション・ジャパンを設立2016年12月29日ヤンゴン・インセインフットボールスタジアム「Kayain New Year Lethwei Events」に金子大輝参戦。 ルワンチャイに1ラウンドTKO勝利2017年2月16日後楽園ホール一般社団法人インターナショナル・ラウェイ・フェデレーション・ジャパン、ファースト・オン・ステージ主催により「Lethwei In Japan2」が開催された。日本からは、KOUMA、山崎泰幸、山本祐希、奥田啓介高橋奈七永の5選手出場したが、0勝3敗2分と、1勝も出来ず惨敗しファン期待大きく裏切結果となった2017年3月19日ヤンゴン・テンピュースタジアム「International Lethwei Fight2」に金子大輝参戦日本人初のミャンマー代表選手として、英国のマーティン・スータイ(Martin Sutai)と対戦し、2ラウンドKO勝利。この大会ミャンマー代表5選手世界選抜5選手争われミャンマー代表は金子勝利を含む2勝を挙げ、通産成績2勝3分で勝ち越した。 2017年11月2日川村英樹が、タウングーおこなわれたタイミャンマー対抗戦一環として実施された試合単身出場したが、2ラウンドKO負けであった2017年12月10日金子大輝が、ヤンゴン行われた試合で、日本人選手として初めミャンマー国内タイトル獲得した2018年12月16日渡慶次幸平ヤンゴン行われた2018年複数試合勝ち抜くなどした強豪集めた大会エアKBZグランドファイナル」で、トゥン・ミン・ラット(ミャンマー)と対戦渡慶次攻撃避けて懐に飛び込み、右のフックなど強烈なパンチ見舞戦法圧倒した優勢に試合進め1ラウンドから相手転倒させた。2ラウンドでは、渡慶次の左ハイキックが決まるなどして、たびたびトゥン・ミン・ラットは地に伏せた。3ラウンド勝負をかけた渡慶次ラッシュ転がったトゥン・ミン・ラットは立ち上がることができず、KO試合決まった2018年王者となった

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