日本株式会社論の系譜
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「日本株式会社」の記事における「日本株式会社論の系譜」の解説
「日本株式会社(ジャパン・インク)」という概念を最初に提唱したのは、「日本的経営」概念を提唱した経営学者ジェームズ・アベグレン(当時ボストン・コンサルティング・グループ日本支社長)とされる。アベグレンは著書『Business Strategies for Japan』(1970年)において、日本において日本国政府と企業が緊密な協調関係にあり、この関係が経済発展を促進したとする主張を行なった。従来日本国内で政官財の「癒着」と批判的に捉えられた現象を肯定的に評価するという発想の転換を行なったものだった。 1970年代初頭、日米貿易摩擦が深刻化する中で、脅威としても日本経済は認識されるようになった。そのため、日本には通常の市場経済原理とは異なる原理が存在しているのではないかという批判的な観点から、アメリカ合衆国商務省内で日本経済に関する調査が行なわれた。この報告書は『Japan: The Government-Business Relationship』として、1972年に公刊される。 報告書は国際通商局極東部長ユージン・カプラン(Eugene J. Kaplan)らを中心にまとめられたものだったが、情報収集と調査委託を受けたのはアベグレンとボストン・コンサルティング・グループだった。この報告書でも、日本経済の 政府による計画と誘導 政府と企業の相互作用 という協調関係が強調されることとなった。これら二つの書籍によって、「日本株式会社」論は広く知られることとなった。 その後も、日本株式会社論の衣鉢を継ぐ評論・研究は続き、1980年代初頭にはチャルマーズ・ジョンソンが通商産業省主導の産業政策が、高度経済成長に果した役割を重要視する研究を打ち出し、注目を集めた。さらにプラザ合意以後、日本経済が一段と世界での存在感を増し、米国との貿易摩擦を拡大させた1980年代末には、クライト・プレストウィッツ、ジェームズ・ファローズ、カレル・ヴァン・ウォルフレンなどによって、日本経済が極めて異質なシステムを持つとする日本異質論が展開されることとなった(なお大嶽秀夫は、前出のアメリカ合衆国商務省報告が、その後の著作群より高い研究水準にあったと評価している)。
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