日本古典への傾倒と「鎮魂」とは? わかりやすく解説

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日本古典への傾倒と「鎮魂」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:54 UTC 版)

堀辰雄」の記事における「日本古典への傾倒と「鎮魂」」の解説

1937年昭和12年)の春を迎え張りつめていた気持ち緩み、「何かいひしれぬ空虚」に襲われた堀は、それから脱するために、ひたすら日本の美しさに心を向け出し少年時代愛読していた『更級日記』や『伊勢物語』、リルケ体験から結びついた王朝文学傾倒する6月初め京都旅行11月に堀は、前年室生犀星宅で知り合った折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受け、王朝文学題材得たかげろふの日記』を追分油屋旅館書き上げた。その原稿郵送のための軽井沢移動中に旅館全焼したために、年末軽井沢川端康成別荘借り、『風立ちぬ』の終章死のかげの谷」も書き上げた1938年昭和13年2月向島自宅喀血し、神奈川県鎌倉郡鎌倉町(現:鎌倉市)の額田病院入院後(3月退院)、前年6月追分知り合った加藤多恵1913年7月30日生 - 2010年4月16日没)と、室生夫妻媒酌により4月結婚軽井沢別荘借りて新居にする(のちに逗子鎌倉などを転々とする)。5月向島に住む養父松吉倒れ夫婦看病し一旦小康を得るが、松吉12月15日死去1939年昭和14年2月に『かげろふの日記』の続編ほととぎす」を『文藝春秋』に発表3月29日立原道造結核のため中野区江古田療養所死去24歳だった。堀は立原を弟のように思っており、立原も堀を兄のように思い慕っていた。5月神西清奈良旅行1940年昭和15年6月に「魂を鎮める歌」(のち「伊勢物語など」に改題)を発表。この作品『万葉集』などからリルケの『ドイノの悲歌』にも結びつけられ、「人々の魂の清安をもたらす、何かレクヰエム的な、心にしみ入るやうなものが、一切のよき文学の底には厳としてあるべきだ」という信念の元で執筆され、堀の内部で折口信夫リルケとが重ねあわされている。

※この「日本古典への傾倒と「鎮魂」」の解説は、「堀辰雄」の解説の一部です。
「日本古典への傾倒と「鎮魂」」を含む「堀辰雄」の記事については、「堀辰雄」の概要を参照ください。

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