日本古代稲研究会・あかごめ学校設立
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「芦田行雄」の記事における「日本古代稲研究会・あかごめ学校設立」の解説
1988年(昭和63年)、「日本古代稲研究会」を発足し、初代会長に就任する。1970年代の終わり頃から宮城県・兵庫県・岡山県などの農業試験場で育種研究は行われていたものの、一般に栽培されるには至っていなかった赤米を、全国の農業者が食用として栽培するようになっていくきっかけを築いた。 1994年(平成6年)、赤米愛好家による「あかごめ学校」を設立し、主宰を務める。赤米にまつわる情報を記載したミニコミ誌「あかごめがっこう」を毎月発行し、全国の会員に届けた。2002年(平成14年)時点で約120名だった会員は、芦田が亡くなる2012年(平成24年)には約210名にのぼっていた。 芦田は地元の小学校で赤米栽培の指導を行うほか、2000年(平成12年)3月には野洲市の赤米講演会で講師を務めるなど、赤米をはじめとする古代米の栽培の普及に努め、全国に古代米栽培を広めた。2003年(平成15年)からは弥栄町にある京都府の農業公園・丹後あじわいの郷で古代米の栽培体験指導を担い、「環境・グリーン・ツーリズム」を学ぶ神戸夙川学院大学観光文化学部の学生らを指導した。 2010年(平成22年)に奈良市で開催された光明皇后1250年遠忌法要では、古代丹後弥栄から奈良の都へ赤米が献上された故事にちなみ、栽培した古代米を献納した。 米ぬか成分の化粧品開発を手掛ける企業において、近畿大学や日本体育大学とともに共同開発を行う等、古代米に含まれる様々な有用成分の研究にも携わる。赤米のルーツを探る研究は、有志を募って中国雲南省まで足を運ぶほどであった。栽培する古代米の品種は、翠玉(すいぎょく)、紫陽(しよう)、黒法師(くろほうし)、赤富久糯(あかふくもち)、紫稲(むらさきいね)、赤穂波(あかほなみ)、稀珍黒米(きちんくろごめ)、しみず糯、昆明、神の尾、紅血糯(こうけつもち)、えびす糯、高天玉(こうてんほう)、種子島、対馬、総社(そうじゃ)など16種類に及んだ。
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