日本の学生自治会の歴史とは? わかりやすく解説

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日本の学生自治会の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 14:51 UTC 版)

学生自治会」の記事における「日本の学生自治会の歴史」の解説

日本において、学校生活充実改善向上をはかる活動課外活動などを推進するための団体は、第二次世界大戦前から学友会校友会などという名称で存在していた。しかし、第二次世界大戦激化するに伴い戦時体制強化1つとして、1941年昭和16年)には、学校報国団(学校報国隊)の結成義務づけられ、それまで学友会校友会代わり果たした戦争末期近づくにつれ学徒動員強化され学校報国団(学校報国隊)はその中心にあった。 終戦後学校報国団(学校報国隊)は解散しそれ以前の自然な団体戻された。さらに、学校教育法施行などに伴う学制改革によって、新制大学成立すると、それらの団体再編余儀なくされ、現行の学生自治会など組織された。 当初連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の奨励によって、小学校中学校高等学校などに自治会設けられ大学ではそれに対応する組織として学生自治会作られた。なお、その後小学校中学校高等学校などの自治会活動学習指導要領規定されて、小学校などでは「児童会」、中学校高等学校などでは「生徒会」という名称に改められた。 全日本学生自治会総連合全学連)が組織され全国的な学生運動展開され時期もある。特に、1950年代~1960年代日米安保闘争比較的よく知られている。1970年代全学共闘会議全共闘)による学生運動の際は、活動家学生一線を画しつつ、大学とも対決姿勢貫き東京大学では、教員学生との間で合意文書交わされた。しかし、中央教育審議会は、1969年答申こうした方式批判している。 その後大学大衆化学生政治離れなどにより学生運動下火となり、次第学生自治会活動は、自然と課外活動に関するものが中心になっていったまた、学生運動影響全日本学生自治会総連合分裂したこともあり、現在では全日本学生自治会総連合加盟していない学生自治会も多い。なお、近年でも一部学生運動政治的な活動中心としている学生自治会もあるが、全学生総意とは言い難い政治活動展開している。 学生自治会目的には、主に高等教育環境改善課外活動振興があるが、歴史的に学生自治会活動は、高等教育環境改善から課外活動振興移行してきた。1990年代からは、課外活動についても学生離れ認められ学生自治会組織力低下する一方であり、新たな形態模索されるようになった。なお、今日学生自治会は、大学公認経て組織されるケースが多いが、一方で上越教育大学筑波大学など一部大学では、学長裁定などにより、学生代表者会議大学組織し学生参加するシステムをとるところもある。

※この「日本の学生自治会の歴史」の解説は、「学生自治会」の解説の一部です。
「日本の学生自治会の歴史」を含む「学生自治会」の記事については、「学生自治会」の概要を参照ください。

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