日本におけるカーリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:15 UTC 版)
「カーリング」の記事における「日本におけるカーリング」の解説
日本におけるカーリングは、1937年1月17日に山梨県の山中湖湖上にてカーリング大会が開かれた記事が認められる。 1967年にアメリカ人のダンカーティスによって富士山麓にて講習会が開かれた。 1969年に長野県の蓼科湖にてゲームが行われ、1973年に第1回カーリング大会が開かれたものの、普及には至らなかった。 日本において競技として定着させる礎となったのは、カーリングをカナダの指導者とともに紹介した小栗祐治を中心とする社団法人北方圏センター(現公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター)であり、北海道の常呂郡常呂町(常呂町は、2006年に北見市と合併して消滅した。)である。1980年の北海道とカナダのアルバータ州との姉妹提携を機に、北方圏センターがカーリング講習会を道内各地で実施した。なかでも、当時の常呂町は当初からビールのミニ樽やプロパンガスのミニボンベなどでストーンを自作し、自治体を上げての普及に取り組んだ。1981年には「第1回NHK杯(北見放送局)カーリング大会」を常呂町にて開催、さらには1988年に国内初となるカーリングホールを町内に建設した。国内外の大会を開催してオリンピック代表選手を多数輩出するなど、常呂町は競技普及に大きな功績を残すことになる。別な情報として「昭和51年には、日本で最初に池田町が導入し、町民のほか近隣町村への普及に努めました」ともある(※北海道池田町教育委員会)。その後、1998年長野オリンピックでの男子チームのスキップ担当の敦賀信人の健闘や、2002年ソルトレイクシティオリンピックでの出場がテレビで中継されたことで日本でも徐々に認知が広がり、2006年トリノオリンピックでは日本勢が不振の中で女子代表のチーム青森の全試合がテレビ中継され、7位に入賞するという活躍を見せたことで、日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まっていった。そして2018年平昌オリンピックでは、女子代表のLS北見がオリンピックのカーリング競技で日本勢初となる銅メダル、2022年北京オリンピックでは2大会連続のメダルとなる銀メダルを獲得した。 日本カーリング協会のデータによると、2018年2月の取材で日本のカーリングの競技人口は選手が約3000人、趣味で楽しむ人はその倍程度であるとされている。近年、冬季五輪日本代表チームの活躍で人気は高まって来たものの、日本ではまだ常設のカーリング競技専用施設は非常に少なく、ほとんどがアイススケート場との併用でシート数も少ない状況である。その理由としては、 カーリングシートは1シートあたりの長さが最低40m必要なため、シートを増やすと専用のカーリングホールは非常に大規模なものになるが、競技人口が少なく、建設費用の面から採算が合わず建設が難しい。2006年トリノ五輪および2010年バンクーバー五輪でカーリングの解説を行い有名となった後、2016年12月に死去した小林宏が生前、山梨県の山中湖村に私財を投じて私設のカーリング場「Curlplex Fuji」を建設し話題となったが、常設2シートで建設費用は約1億3000万円と言われている。2020年に北海道北見市柏陽町内の北見ハイテクパーク内に開業したアルゴグラフィックス北見カーリングホールの建設費は、3シートで約10億2300万円余だったとのことである。 カーリングはアイスを使用するが、製氷なども含めた年間の維持費は約2000万円~4000万円とされており、またストーンは大変高額となることからカーリングホールの所有物となることが多い。夏の間もこれらを適切に維持し続けなければならず、管理費の面から費用対効果に見合わない。なお、ペブルを作るために専用の製氷機を使用するがこれは国家資格となっており、製氷機を扱えるのは資格取得者のみであることから人材もまだ少ないと思われる。 などが挙げられる。
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