新駆虫薬スパトニンの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:37 UTC 版)
「八丈小島のマレー糸状虫症」の記事における「新駆虫薬スパトニンの開発」の解説
日本へ帰国した佐々は、すぐに伝研へ戻り同僚の加納にDECのことを伝え、化合法について東京大学の薬学科(現、東京大学大学院薬学系研究科・薬学部)に協力を依頼すると、驚くことにDECはつい最近、薬学科教授の菅沢重彦(1898年 - 1991年)らの手によって合成されたばかりで、来年度以降大阪の製薬会社田辺製薬を通じて実用化される方向で準備が行われていた。 佐々は自分が留学している間に日本でフィラリアの治療研究が進んだものと思い、急いで薬学科を訪ねると、菅沢は「フィラリア?違う違う」と言って合成したばかりの白い粉末状のDECを佐々に見せた。菅沢のDEC合成の目的は回虫の駆除であった。戦前に回虫駆除に使用していたサントニンというヨモギを原料とする駆虫剤をソ連から輸入していたが、戦争終結に伴いソ連との国交が断絶したため一切輸入されなくなっていたのである。菅沢は各国の文献を調べDECに目を付け、サントニンの代用品として田辺製薬と共同研究を行い合成に成功したという。佐々は事情を打ち明けDECを八丈小島のフィラリア患者に使用したいと申し出るが、本来の目的である回虫駆除の臨床試験も行われていない段階であったため、菅沢は難色を示した。しかし、田辺製薬はこの新しい駆虫薬が抜群の効果をも発揮すると自負しており、サントニンを超える効果を持つという意味の「スーパー・サントニン」の略「スパトニン」という商品名まで既に名付けていた。 フィラリアに対する佐々の熱意に菅沢はDECの合成を承諾し、同年12月、飲み易いように錠剤にされた1錠あたり0.1グラムのスパトニン1000錠を佐々に譲渡した。ちょうどその頃、人間へのDECの投与例がアメリカから報告された。その内容は2年前の1947年(昭和22年)にアメリカ人医師のスティーブンソンが南太平洋の島で、バンクロフト糸状虫症患者に対し1日あたり体重1キログラムにつき6ミリグラム割合でDECを10日間投与すると、患者の血液中のミクロフィラリアが消えたというデータが、この年のアメリカでの学会で報告された。ただし、これは1名だけの成功例であり、患者の病状が感染初期なのか末期なのかも不明であった。 佐々はなるべく早く八丈小島を再訪してスパトニンによる治験を行いたかったが、海の荒れる冬であったため、天候の安定する春を待って決行することにした。
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