新用途
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 08:11 UTC 版)
「ホーカー ハリケーン」の記事における「新用途」の解説
Mk. IIの派生型であるMk. IIBが1941年4月に完成し、500 lb爆弾とブローニング7.69mm機関銃を12丁も搭載してハリボマー (Hurribomber) とあだ名を頂戴した。仕様F.37/35に対してホーカー社はハリケーンの機関砲搭載型を提案し、エリコン20mm機関砲を搭載した機とイスパノ・スイザ HS.404 20mm機関砲4門を搭載した機を試作した。エリコン社製の機関砲は照準が困難という問題が起き、イスパノ・スイザ機関砲を採用したハリケーン Mk. IICが生産された。当初、イスパノ・スイザ機関砲はベルト給弾式であったが、動作が安定しなかったためドラム給弾式に改められ、Mk. IICだけでも約4700機が生産された。 Mk. IIBとMk. IICの爆弾を搭載する懸架装置を改修して増槽(落下タンク)を装備できるようになったが、爆弾や機関砲の装備によって重量が増加したため戦闘機との空戦は困難になったが、単座航空機の新たな使いみちを開拓した。近接航空支援(CAS = Close Air Support) 用の戦闘爆撃機がそれだった。こうして、ハリケーンは次第に戦闘爆撃機及び地上攻撃機として発達していった。 ロールス・ロイス社のBF機関砲を両翼下に搭載した試作機が製作されたが、信頼性に乏しく、わずか12発の砲弾しか搭載できなかったことから搭載試験のみ行われ、15発の砲弾を搭載できるヴィッカーズ社のS型40mm機関砲2門とパイロット保護用の装甲を付与したハリケーン Mk. IIDが完成した。1942年6月から北アフリカにおいてドイツ軍やイタリア軍の地上部隊を攻撃した。海岸まで砂漠というこの地帯にあっては錆びることの無い布製の胴体が物をいい、ほどなくして、戦車など装甲車両に壊滅的被害を与えることから缶切り (Tin openter)というニックネームがつけられた。Mk. IIDは約300機が生産され、北アフリカやビルマ戦線において戦車だけでなく艦艇攻撃にも活躍し、フィルター装備や冷却器の強化などの改良と強い日差しによる退色に備えた塗装が施され、Trop.(Trop. = Tropical、熱帯用)とも呼ばれた。 1943年にはマーリン 21またはマーリン 22 エンジンを積み、E翼を装着した万能型のMk. IIEが完成した。後にMk. IIEはMk. IVに改称した。Mk. IVのE翼は爆弾や増槽だけでなく、3インチ対地ロケット弾を搭載できるようになった他、任務に対応して武装を換装することができた。前線の部隊では、イスパノ・スイザ機関砲よりもS型40mm機関砲、ロケット弾、爆弾などの装備が好まれた。ヨーロッパ戦線でハリケーンはドイツ軍の戦車や強固な橋梁の破壊に投入され、より高性能で対地攻撃に向いたホーカー タイフーンやホーカー テンペストが配備されても終戦まで戦い続けた。
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