新幹線について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 06:28 UTC 版)
阿川は1958年8月10日付の朝日新聞朝刊記事で東海道新幹線の建設計画に対して言及し、その中で「世界的には航空機と高速自動車道路の時代に入っている。1700億円も掛けて新幹線を建設するなら、その財源で国内航空路の拡充と高速自動車道路を建設すべきだ」や「新幹線が世界の三バカの仲間入りにならないように願いたい」と、東海道新幹線自体には反対した訳ではなかったものの、建設の慎重論を表明した。しかし、この「三バカ」の言葉が独り歩きしてしまい、新幹線建設に対しての批判と取られてしまい、各方面から非難を浴びた。 後年にこれは「新幹線が世界の三バカになるかと思ったら、アレヨアレヨと言う間に世界一の優等生となった。」と発言し撤回している。 阿川は開業当日の1964年10月1日、週刊朝日に掲載する、東海道新幹線と航空機との乗り比べの記事を執筆する目的とした取材で東京と大阪との間を往復したが、その際、往路は東京駅8時発の新幹線ひかり5号、復路は大阪空港15時30発の日本航空コンベア880を利用した。阿川は週刊朝日1964年10月18日号の記事で「100km/hを超した所かと思って確認したら既に180km/hに達していた。思ったよりスピード感がない」「気密がしっかりしているせいかデッキと客室の仕切にある手動ドアが開けにくい」などとコメントし、総合評価については「運賃で新幹線、乗り心地で飛行機」との評価をしている。 後年、自著『乗りもの紳士録』の中で、上記の「世界の三バカ」発言の件を同じ作家の広津和郎より指摘され苦言を呈されたことを表明した。その中で、阿川は広津にこの件を国鉄総裁を経験したことのある磯崎叡に謝罪したことを伝えている。なお、阿川は磯崎のことをニックネームの「ダッコちゃん」で呼称している。 ただし、阿川自身は新幹線を含めての鉄道ファンであり、生前には鉄道に関する著書も執筆していた。なお「のぞみ」の名付け親は、長女の阿川佐和子である。 鉄道ピクトリアル2014年10月号の記事では、上記のエピソードなどが一部ではあるが、記事にされている。
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