新幹線に対する姿勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 09:55 UTC 版)
新幹線に対しては、冷ややかな側面もあった。「俺はこんなものは嫌いだ。危険な物を(前任の十河総裁から)押し付けられ迷惑している」と発言したことがある。峯崎淳は『建設業界』に連載した国鉄の伝記で石田の姿を批判的に描き「新幹線が世界の鉄道史上どれほど重要な意味を持つことになるかなど少しも理解していなかった」「新幹線操業開始の式典に十河を招待しようとすらしていない。相場師には国士十河の志はわからなかったのである。」と書いている。なお上述の城山の伝記では開業の式典には招待したものの十河の側から辞退したと言うことになっていることを付記しておく。 また、上記のように在任中に山陽新幹線を着工したが、当時策定の進められていた新全国総合開発計画に向けて話題となっていた全国への新幹線網の拡充には国鉄の経営面への影響から慎重な姿勢を取った。退任直前の1969年3月の衆議院運輸委員会では、新幹線の建設には輸送力に見合った輸送需要があるかが問題であると述べた上で、独立採算経営という枠のある国鉄では新たな新幹線建設は困難で、もし自分がやるとすれば政府の勘定においてやると答弁している。国家事業として新幹線建設を可能にした全国新幹線鉄道整備法が成立したのは、石田が総裁を退任した翌年のことである。
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