新しい歴史教科書をつくる会との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 05:12 UTC 版)
「国民的歴史学運動」の記事における「新しい歴史教科書をつくる会との関連」の解説
丸山のナショナリズム批判と相通ずるところがあるが、近年では「自虐史観」の克服を目指す日本の歴史修正主義や新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)との関わりから、運動を検討する動きが一部に見られる。 例えば川本隆史は石母田の一連の言説について、「《民族・歴史・愛国心》をめぐる連係プレー」と位置付けた上で、民科系の研究者らが運動をきちんと総括しなかったために、現在の「つくる会」の台頭の遠因が作られたのだと批判した。 一方で大串潤児は、一枚岩の「国民」像が揺らぐことで、抽象的な「国民」を考える前に、「自分の苦しみ」から問題を出発させることが可能となったのであり、運動自体に国民を複数化して捉えようとする契機をはらんでいたと指摘している。そのため、「つくる会」の「国民の歴史」が「民衆自身による歴史像の形成のいとなみ」を切り捨ててきた点に問題を見出した。 もっとも小国喜弘は、体制に周縁化されてきた人々の記憶に初めて歴史学が光を当てたのは事実であるとして川本を批判しており、大串についても、運動の標語である「国民のための歴史学」を過小評価する傾向にあるとして、その見解に与していない。むしろ「つくる会」の一連の運動を生み出すに至った、戦後歴史学そのものについて検討を加えるべきとした。 小国は国民的歴史学運動が民衆に光を当てた点については決定的な差異があるとしたものの、「つくる会」と運動との共通点について以下の4点を挙げている。 歴史に学ぶことがすなわち国民国家の歴史を学ぶことと同義とされ、国民の歴史に回収されることの無い自分史や文化史を学ぶことの意味が低く見積もられている点。 国民内部に向けて歴史を語り共有することが重視され、国民外部との対話の上で自国史を作れなかった点。 日本国に住む非日本民族を日本史の構築主体に含めようとしない点や、日本民族の多様性や固有性への配慮が低い点。 民間教育運動として、下からのナショナリズムという形態において、公式的な国民史像の書き換えを迫ろうとした点。 小国と同様、「つくる会」と戦後歴史学との間の関係を指摘した学者に網野善彦が挙げられる。網野は国民的歴史学運動に積極的に関わり後に決別しているが、「つくる会」の主張の根幹を成す「自由主義史観」を「戦後歴史学の鬼子」と表現し、晩年次のように述べた。 「鬼子」を生み出した「戦後歴史学」の側が、自分たちの土台自体の持っている問題、自由主義史観を生み出した自らの内包する問題を考え、それをえぐり出さないままで、ただ批判しているだけではどうしようもないだろうというのが、正直なところ私の一番いいたい点ですね。「日本国」に対する戦後歴史学自体の「超歴史的」な捉え方など、その最たるものですし、徹底的な自己批判が必要なはずです。しかしいまも一向にそうした自己批判の声はきこえてきませんね。 網野はまた、国民(「国民」という物言いには留保を付けているが)の問題を自らの問題として取り上げて、国民に向かって発信すべきだ、という松本新八郎の言説には賛意を示しながらも、政治に学問を従属させることを批判してきた戦後歴史学が、そうした姿勢を抹殺してきたところから、「自由主義史観」が生まれてきたともしている。
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