新しい歴史教科書をつくる会での活動
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「濤川栄太」の記事における「新しい歴史教科書をつくる会での活動」の解説
1997年1月30日、藤岡信勝、西尾幹二らによって「新しい歴史教科書をつくる会」が設立されると、各界著名人が賛意を表し、同年6月6日時点の賛同者は204人を数えた。濤川もその中に名を連ねた。1998年2月16日に副会長(組織・財務委員長)に就任、地方支部づくりを担当した。 その後、支部結成を主導していることを快く思わない副会長の藤岡との対立が表面化。怪文書を流されたほか、出張に同行した女性秘書と列車で並んでいる写真が「噂の眞相」誌に掲載され「“親密ぶり”は教祖と女性信者を思わせる」と報じられた。 1999年7月27日の理事会で藤岡との間で互いに面罵する事態となり、小林よしのりから双方が副会長を降りるよう提案があったが拒否し、退会した。その際、小林に対し「なめられちゃたまんないよォ、たかが一マンガ家に!」と反発した(後にこの発言について小林に謝罪している)。
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