新しい権力への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 18:40 UTC 版)
「ジャスミン革命」の記事における「新しい権力への移行」の解説
ガンヌーシ首相は政権崩壊を受け、憲法第56条の規定を根拠として自らの暫定大統領就任を国営テレビを通じて発表し、国民に平静を呼びかけ、政治、経済の改革を実施するとした。しかし、この就任には憲法上の問題があるとの指摘が出たため、憲法評議会は翌15日に憲法第57条の規定に則り下院議長であるフアド・メバザを暫定大統領に指名した。メバザ暫定大統領は挙国一致政権の樹立をガンヌーシに要請し、また同日15日、暫定大統領への就任宣誓を行った。14日にガンヌーシ首相が暫定大統領就任を宣言した根拠は「ベン=アリー大統領の一時的な職務離脱」であったため、憲法評議会はベン=アリー前大統領の復帰はないと改めて宣言した。 メバザ暫定大統領とガンヌーシ首相率いる暫定政権は野党との政権協議を行い、1月17日に暫定内閣が発足。野党からは3人、またベン=アリー政権を批判して投獄されたブロガー(ウィキリークス支援者である海賊党を自称)も入閣した。また情報統制を担っていた情報省の廃止、政治犯の釈放といった改革にも乗り出した。しかしこうした姿勢も、外務大臣、財務大臣といった主要閣僚は留任したこともあり、反体制派からは上辺だけの改革だと批判を受けた。また立憲民主連合の完全なる排除を求め、内閣改造を要求するデモも発生した。こうした批判を受け、1月18日には立憲民主連合の中央委員会が解散し(政党としては存続する)、同党出身の全閣僚が離党した。。2月27日にはガンヌーシ首相が辞任した(後任はベジ・カイドセブシ)。 1月19日までにベン=アリー前政権時代の政治犯をすべて釈放し、翌1月20日の初閣議では前政権時代に活動を禁止されていた政治活動グループの容認を決定。また暫定政権は3月中旬までに行われる予定の大統領選挙への国際監視団受け入れも表明したが、治安の不安などで大統領選挙そのものが延期された。 10月23日に制憲議会選挙(定数217)が実施され、イスラム政党のアンナハダが90議席を獲得し第1党となり、以下は中道左派政党の共和国のための会議(30議席)、社会民主主義政党のエタカトルが21議席と続いた。これらの政党を中心に連立交渉が進められ、11月21日に3党が連立政権樹立で合意。11月22日に制憲議会の宣誓が行われ、議長にエタカトルのムスタファ・ベンジャファル(英語版)が就任。12月13日に共和国のための会議党首のムンセフ・マルズーキーが暫定大統領に就任(同時に党首を辞任)、アンナハダのハンマーディー・ジェバリ(英語版)幹事長が首相に就任することとなった。
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