文学史における意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)
本書の意義については、 一に暦占書の抄物のうちに見出したこの素材を、文芸の世界にもたらしたことにあり、二に清明の母(つまり信田の狐)に関する記述に着眼し、これを敷街拡大して、奇特比べに劣らない、もう一つのクライマックスに仕立てあげたこと とされている。 現在伝わっている晴明に関する伝承には2つの異なった流れ(正史を含めるなら3つ)がある。ひとつが、晴明の死後100年程してから現れ始めた伝承で、多種多様な説話集に収録されるという形で流布していった。もうひとつが、正確な時代は不明だが、おそらく中世末期あたりから近世初期に主に口承により広まった伝承である。後者は、後世「しのだづまもの」という文芸・演芸の世界で一大ジャンルを構成することになる物語で、晴明出生譚と道満との確執がその中心となる。 この「しのだづま」の伝承は、説経節のような口承文芸により広まったと推定されているが、「口承」という性質上記録に乏しく、本書以前に写本あるいは版本として現存しているのは『簠簋抄』以外にない。その『簠簋抄』は、あくまでも暦占書『簠簋内伝』の注釈本であり、表現は漢文訓読調の平板なもので、元になったであろう複数の伝承を未整理なままで採録していることから、前後関係や因果関係で辻褄の合わない部分が多々ある。 本書は、『簠簋抄』の未完成な部分を補うべく、伝承を整理し、逸話が矛盾する場合は削除することも厭わず、描写が不足している部分は加筆している。とくに晴明出生譚の部分は、『簠簋抄』では「或ル人」としてしか記されない晴明の父に「安名(やすな)」という名前を与えたばかりか、晴明の母(信田の狐)との仲睦まじい暮らしぶりや妻に去られた後の悲嘆をやや大げさにも思える筆致で描写することで、一個の人格として描いた。これが、後の『しのたづまつりぎつね付あべノ清明出生』や『芦屋道満大内鑑』への道を拓くこととなる。 また、吉備真備と阿倍仲麻呂に関するエピソードは、宝暦7年(西暦1757年)に誓誉(重磧)の手により『安倍仲麿入唐記』として独立した書籍として出版されている。 以上の高評価はあくまでも前半3巻までのことで、後半の暦占書の部分については国文学者はほぼ無視(論文で触れない)という態度で、たまに言及されても「おまけ」や「平明な和文体で綴られた近世オカルト啓蒙書」と評され、明らかに前半部とは落差がある扱いを受けている。
※この「文学史における意義」の解説は、「安倍晴明物語」の解説の一部です。
「文学史における意義」を含む「安倍晴明物語」の記事については、「安倍晴明物語」の概要を参照ください。
- 文学史における意義のページへのリンク