文学及び歴史学上の事跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 14:57 UTC 版)
散文においては韓愈の例に倣い、いわゆる古文復興運動をすすめた。滁州の自然や人々の生活を描写した「醉翁亭記」は、有名な作品のひとつであり、中国の紀行文の最高水準のひとつとして賞賛される。 韻文では詩(漢詩)と詞をともに書き、気取らず、ユーモラスな作風である。詩は、晩唐の絢爛たる文体を避け、盛唐期の威風を残した無駄のない質実剛健なものである。しかし彼は、どちらかと言えば詞で有名である。特に西湖の景物を詠じた一連の詞牌『采桑子』は、その様式の標準となり詞を大衆化することに大きく貢献した。 文学者として、地方勤務中に『新五代史』を編み、中央に戻り宋祁とともに『新唐書』を編纂。これらは当時の名高い経学者であった劉敞に春秋の凡例を尋ねるなどして作られたもので、春秋学的色彩の強い書物として評価された(ただし清朝になり史実重視の立場が勃興すると、従来評価されていた文学的側面が逆に批判される様になった)。また金石文の収集を好み、『集古録』にまとめるなど金石学の発展に大きく寄与した。
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