文化的要素
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 14:32 UTC 版)
「ロックアイランド群と南ラグーン」の記事における「文化的要素」の解説
ロックアイランドの島々は石灰岩質の島で、かつて定住者がいた頃の考古遺跡などが残されている。 ウーロン島の北西岸には、現在から見ておよそ2,000年から3,000年前に遡る岩絵が残されている。一連の遺跡の中ではウーロン島のものが最古である。また、南西岸にも950年前に遡り、西暦1600年頃に放棄されたと考えられる石造りの村落の遺跡など、長期間にわたる定住の痕跡が残っている。 ガムリス島 (Ngemelis) にも石造りの村落の遺跡があるほか、西暦650年から1000年および西暦1250年から1450年のものと考えられる岩陰遺跡などが残っている。 ウルクタープル島 (Ngeruktabel) には1530年頃から1730年頃の石造りの集落のほか、ヤップ石貨の切り出し場や作りかけの石貨、岩絵を含む多様な遺跡が残されている。ただし、ガムリス島などと違い、全体の調査はまだ十分ではない。なお、その近隣の島々のひとつにも、石造りの集落や石貨の切り出し場と思われる遺跡が残っている。また、近隣の別の島には、紀元前200年から西暦900年まで1,000年以上にわたって埋葬場所に使われていた洞窟があり、葬礼文化と結びつく様々な工芸品なども出土している。 現在のロックアイランドには無人島ばかりだが、かつての村落が放棄された理由としては、人口の増加に伴う乱獲によって水産資源がなくなり、それが近隣の島々への移住を促したと考えられている。調査が行き届いているガムリス島の場合、微生物や放射性同位体などの研究とあわせ、この島の村落が放棄された原因には、乱獲だけではなく、西暦1450年から1650年ごろに起こった降水量の減少も関わっていたことが明らかにされている。また、ウルクタープル島の場合、人口流出の要因は食糧不足以外に、戦いの影響もあったとされている。バベルダオブ島などに移住した人々の間では、ロックアイランドからの移住の歴史が口承されており、考古遺跡は口承文化とも結びついている。 ロックアイランドの遺跡研究は20世紀半ば以降に行われるようになった。それらの遺跡群は、人口増加や気候変動の影響を伝えている。そうした影響を伝える遺跡としてはすでにモアイで知られるラパ・ヌイ国立公園(チリの世界遺産、1995年登録)が世界遺産になっていたが、ロックアイランドは3,000年以上にわたる営みの記録という点で独特である。また、海洋景観が伝統文化と結びついているという点ではパパハナウモクアケア(アメリカ合衆国の世界遺産、2010年登録)があるが、そちらが宗教性や象徴性に力点を置くのに対し、ロックアイランドの価値は、漁撈や村落といった生活面に力点が置かれる点で異なる。
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