石貨
石貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 06:47 UTC 版)
詳細は「石貨 (ヤップ島)」を参照 巨大な石の貨幣のようなものを用いていることで知られる。ただ、個々の石貨には価値が厳密に設定されているわけではない。石貨の価値を決めるのは個々の石貨の来歴であり、それを所有している者とそれを譲られる者の話し合いによって譲渡の条件が決定される。例えばこの石貨はサイズも大きく、白人が来る前からヤップにあったので極めて価値が高いから、あのパンの木何本と交換しよう、というような条件である。また普通の貨幣のように人が携帯するものではなく、特に大きくて動かせないものは屋外の一定の場所に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わらない。よって、経済学的には石貨は貨幣とは見なさないとするのが今現在も続く主流派経済学での見解である。ただし、かつては石貨は来歴によらず、貨幣として通用していたとする記述も日本国内の文献には存在している。 また、このヤップ島の石貨がどのような使われ方をしていたのかを調べた人物にアメリカ人の探検家のウィリアム・ヘンリー ・ファーネス3世という人物がおり、その彼の研究結果(島民からの聞き込み調査が主な論拠)をまとめたレポートを読んだある人物に従来の経済学にはない重大な気付きをもたらした。それが、第2次大戦後の世界経済の安定化に寄与したブレトンウッズ協定の策定の際にハリーホワイトと案を出し合ったジョン・メイナード・ケインズである。 1898年、同島のドイツ人監督官がある村の住人に、補修を要する道路の工事に出てくることを命令した。しかし村人たちは面倒くさがって作業に出なかったので、監督官は村人の資産を差し押さえた(具体的には、村の石貨にペンキで×印をつけた)。財産を取り上げられて驚いた村民は、直ちに作業に出てきて働いた。作業完了後、監督官はペンキの印を消し、村民に石貨を返してやった。 ヤップの石貨には、古代に石器で切り出してパラオから航海カヌーで運んで来たものと、1872年から1901年にかけてデービッド・ディーン・オキーフというアイルランド系アメリカ人が機械で切り出して機帆船で持ち込んだものがあり、前者のほうが価値が高いとされている。また1990年代に日本のNPO「アルバトロス・クラブ」がマウ・ピアイルックの協力を得てパラオから航海カヌーで石貨を運ぶ実験を行い、その時に運ばれた石貨をヤップの酋長に寄贈している。
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