石谷鉄之丞とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石谷鉄之丞の意味・解説 

石谷鉄之丞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 05:45 UTC 版)

 
石谷鉄之丞
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 不明
死没 不明
別名 安芸守
幕府 江戸幕府
氏族 石谷氏
父母 父:石谷穆清
テンプレートを表示

石谷 鉄之丞(いしがや てつのじょう、生没年不明)は、江戸時代末期(幕末)の旗本

生涯

安政5年(1858年)5月29日、部屋住みから小姓組に配せられ切米300俵を与えられ、安政6年(1859年)6月2日より進物番を兼務し、同年12月14日、小納戸として役料300俵を与えられた。同年同月16日に布衣を許される。文久元年(1861年)8月24日に小姓となり、文久2年(1862年)11月23日に家督を継いだ。翌24日に父である石谷穆清は、町奉行を務めていた頃の取り調べに問題があったとして免職となった。文久3年(1863年)1月19日、諸大夫となり、安芸守を称したと思われる。同年9月1日に使番となり、元治元年(1864年)6月22日、再び小姓となった。元治2年(1865年)4月10日に頭取介となる。慶応2年(1866年)11月6日、御役御免となり寄合に入った。慶応3年(1867年)10月末日、再び使番となったという。

『袖師町誌』に拠れば、この石谷氏の系統の系図の本紙は、戦災によって東京で焼失したと伝えられる。

参考文献

  • 小川恭一『寛政譜以降旗本家百科事典』東洋書林、1997年
  • 袖師町誌編纂委員会『袖師町誌』、1961年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

石谷鉄之丞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石谷鉄之丞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石谷鉄之丞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS