敵対的評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 03:48 UTC 版)
大坪直行 - 元『宝石』編集長。『夢の砦』金井のモデル。『本の雑誌』2008年2月号に掲載の「大坪直行ロングインタビュー」(聞き手:新保博久)において、反論をしている。このインタビューは、のちに新保の著書『ミステリ編集道』(本の雑誌社)に収録された。 景山民夫 - 『ヒッチコックマガジン』愛読者の一人。高平哲郎を通じて1970年に小林と初めて面会。「自分のやりたいことは、ことごとく小林さんに先回りされている」と、小林を深く尊敬していたが、幸福の科学に入信した景山が大川隆法の著書を小林のもとに送りつけ始めたため、宗教嫌いの小林から疎んじられるようになった。 寺山修司 - 寺山が書いた映画の脚本(1964年の篠田正浩監督作『乾いた湖』)をめぐって、小林と大喧嘩したことがある。小林の処女長編小説『虚栄の市』の登場人物のモデルにもなっている。 常盤新平 - 『ヒッチコック・マガジン』刊行当時、早川書房の編集者。のち、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』三代目編集長。外部から画策して小林を宝石社から追放した中心人物。『夢の砦』の井田実のモデルで、モデルであることを匂わせた月刊プレイボーイ連載時の『'60年代日記』に対し、『青春と読書』1985年5月号で反論している。 萩原津年武 - 小林の退社後の『ヒッチコックマガジン』編集長。のち、放送作家。 花田清輝 - 『ヒッチコックマガジン』寄稿者の一人。ただし、小林が初めて発表した映画評論「『二重の鍵』とヒッチコック」において、ヒッチコックに私淑するクロード・シャブロルの作品からヒッチコックの作風を分析すると、花田は「ヒッチコックのような『娯楽性専門の無思想人』と、シャブロルのような芸術家を比較するのはおかしい」と小林の評論を批判。そのため、小林から痛烈に反論された。 ビートたけし - たけしの「オールナイトニッポン」初回の放送から聴いて、雑誌連載で取り上げ絶賛したが、たけしが「自分の娘を『若い世代』の代表として、新しい笑いへのアンテナ的存在として扱う」小林を「親馬鹿」とたしなめる発言をしたことから敵対関係となる。1982年に『日本の喜劇人』が新潮文庫に収録される際、小林はタモリとたけしについての記述を追加したが、2008年の『定本・日本の喜劇人』では「この人たちは喜劇人ではなかった」として、下巻の『エンターテナー編』へ移動し、表現も微妙に変えている。 星新一 - 小林が『ヒッチコックマガジン』で起用したことをきっかけにショート・ショートの大家となるが、星は小林の性格を嫌い、また、1969年の覆面座談会事件に関与した稲葉明雄の親友ということも相まって、晩年は小林と顔を合わせることも嫌がっていた。小林の側は、星が原稿料の問題で『ヒッチコックマガジン』での執筆を「勘弁してほしい」と告げてきた旨を記している。 松村雄策 - 音楽評論家、文筆家。小林が週刊誌に書いたビートルズに関する短編小説と、音楽評論家との対談の記事に端を発するビートルズ論争の対論者。
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