政治活動、著作、映画、探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 16:58 UTC 版)
「ピーター・フロイヘン」の記事における「政治活動、著作、映画、探検」の解説
1920年代にフロイヘンはデンマークに戻り、デンマーク社会民主党の党員となり、党新聞の「ポリティケン Politiken 」に記事を執筆した。 1924年にマグダレーナ・ヴァン・ラウリッドセン(1881年-1960年)と再婚した。ラウリッドセン家は、父の国立銀行での仕事のみならず、マーガリンを製造する会社などを所有し、デンマークでも大変著名な大富豪の一族であった。マグダレーナの両親はフロイヘンを大変気に入っており、1926年から1932年には、フロイヘンを家族が所有していたデンマークの女性向け週刊誌Ude og Hjemme,の初代編集長とした。Ude og Hjemmeは今日でも引き続き存続しており、デンマークで最も長く続く雑誌となっている。また映画会社の主任も務めていた。 大富豪と結婚したものの、探検への意欲は衰えることなく、引き続き幾度もの遠征に参加していた。 1926年のグリーンランド探検では、キャンプに戻った際につま先が壊疽を起こしており、左足全体が凍傷にかかっているのを発見。凍傷を食い止める為に、手持ちのペンチを使い、麻酔なしで自ら足首から下を大きくちぎり落とし、鉤針を義足代わりとして探検を続けた。 フロイヘンの著作「エスキモー Eskimo」は既に何ヶ国語かに翻訳されており、本の講演の為にアメリカを訪れた。ハリウッドは「エスキモー」の内容にインスピレーションを受け映画製作を決意、1932年、フィルムスタジオ MGM(メトロ ゴールドウィン メイヤー) の出資により映画撮影を目的とするアラスカ遠征が行われた。フロイヘンはコンサルタント、北極関連の脚本のスペシャリストとして雇われた。この遠征が、MGMが製作した、第7回アカデミー賞編集賞受賞映画 「エスキモー Eskimo/Mala The Magnificent」となった。この映画では、アラスカイヌイットの母をもつアラスカンハリウッドスター、レイ・マラが主演を務めた。また史上初の、イヌイット言語が使われた映画となった。最初フロイヘン自身は演技に全く興味が無かったが、フロイヘンの著作に登場する探検家にふさわしい人物を探せず、探検家として自身が映画に出演することとなった。 「エスキモー」のプレミア上映にて、ヒットラーお抱えの映画監督でナチス・ドイツプロパガンダ映画を多く撮影したレニ・リーフェンシュタールと出会ったフロイヘンは、酔ったフリをして彼女を掴み上げると、頭の上高くまで彼女の体を抱えてくるくると振り回すという嫌がらせをした。 1935年には南アフリカを訪れ、また1940年代にはシベリアに旅行している。 1938年フロイヘンはデンマークに探検クラブ(デンマーク語: Eventyrernes Klub)を設立、今日までクラブは存続している。クラブは後に、フロイヘンの軌跡を記念し、フロイヘンが1906年に始めてデンマークからグリーンランドに渡った場所に、柏の木を植樹し、イヌイット伝統の積み石「ケアン」を配した。記念碑はコペンハーゲンの中心地で、人魚姫の彫像から程遠くない位置にある。
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