摂津勝尾寺旧境内膀示八天石蔵出土品とは? わかりやすく解説

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摂津勝尾寺旧境内膀示八天石蔵出土品

主名称: 摂津勝尾寺旧境内膀示八天石蔵出土品
指定番号 429
枝番 00
指定年月日 1987.06.06(昭和62.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  勝尾寺は、平安時代末期には大和大峯山熊野那智山とともに山岳仏教拠点として名を知られ隆盛きわめた。しかし中世に入ると、荘園領主寺家等に対す反抗勢力抬頭し、彼らによる寺領侵犯もみられ、寺地四至〓示【ししぼうじ】に深い関心払われてくる。その様相は勝尾寺文書散見するが、なかでも寛喜二年後正月勝尾寺四至注文」には、四至四角四天王石蔵事【しすみしてんのういしぐらのこと】がみえ、同年の「太政官牒」等にもその状況伝えられている。
 この勝尾寺〓示石蔵内容は、近年までほとんど不明であったが、昭和三十七年発掘調査によって、四天王四明王各一躯の仏像を、各々陶製容器入れて納置した、八か所の石蔵実態明らかにされた。本件はその出土遺品一括である。
 四天王像四明王像は、総高三〇センチ前後小型鋳で、後者法量が稍々大であり、また作風太造りで衣の動き大きくより優れている。しかし本躰と光背台座接合方法質等は八躯とも共通し一具同時制作とみられるまた、陶製容器は、八箇共同同大のつくりで、素地特徴から信楽しがらき】焼の範疇捉えることが可能だが、類例のない形態呈している。
 寺領荘園四至〓示の実態については、従来不明な点が多かったなかで、本遺品その実相を初め明らかにしたものであり、学術的価値高く、貴重である。
 なお、本遺品出土した石蔵は、昭和四十一年、「勝尾寺旧境内〓示八天石蔵および町石」として史跡指定されている。


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