掃苔の歴史
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江戸時代の貞享・元禄期から明治時代初期にかけての大阪では、市内7か所の大きな墓所を巡回して無縁仏を供養することで功徳を積む「七墓巡り」が流行した。一方で近世中後期には、追善供養よりはむしろ個人的な関心から偉人や著名人の墓を訪ね歩く「掃苔」も文人らの間で行われ、それは単に墓を訪問するだけでなく、その前で故人を回顧したり墓碑銘の拓本を取ったりするといった、典雅な趣味であった。中尾樗軒の『江都名家墓所一覧』(1818年〈文化15年〉)や暁鐘成の『浪華名家墓所集』のように、故人の業績や墓所の所在地などの情報を一覧に整理してまとめたカタログないしガイドブック的な書物である「掃苔録」も、すでに当時から作成・出版されている。江戸時代の掃苔家としては、池田英政・大田南畝・曲亭馬琴などが挙げられる。 近代に入ると、掃苔家により結成された各同好団体が、墓石の形状や銘文および被葬者の略伝を紹介した同人誌や機関誌も発行するようになり、代表的なものとしては東都掃墓会の『見ぬ世の友』、東京名墓顕彰会の『掃苔』などがある。掃苔録も近世から引き続いて編集され、都市部のみならず地方の墓所に焦点を当てたものも登場した。特に藤浪和子が1940年(昭和15年)に刊行した『東京掃苔録』は593寺・2477名を収録しており、以後も再版が繰り返されている名著である。近代の著名な掃苔家には森鷗外や永井荷風らがいる。 昭和時代戦後には文芸評論家の野田宇太郎が、それまでの掃苔を包摂しつつも訪問対象をより広げ、文豪にゆかりある地を巡り歩くという「文学散歩」を提唱・確立した。現代においても掃苔趣味は健在であり、平成時代には墓巡りをする人を指す語として「墓マイラー」が新たに造られた。また、霊園が著名人の墓所を明示した「霊園マップ」をあらかじめ用意しているほか、個人が掃苔の成果をインターネット上で公開する例が見られる。2013年(平成25年)には青山霊園内の著名人の墓所情報を収録したiPhoneアプリ『掃苔之友青山』が登場し、墓所への訪問はより容易になってきている。
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