掃苔の歴史とは? わかりやすく解説

掃苔の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 06:41 UTC 版)

墓めぐり」の記事における「掃苔の歴史」の解説

江戸時代貞享元禄期から明治時代初期にかけての大阪では、市内7か所の大きな墓所巡回して無縁仏供養することで功徳を積む「七墓巡り」が流行した一方で近世中後期には、追善供養よりはむしろ個人的な関心から偉人著名人の墓訪ね歩く「掃苔」も文人らの間で行われ、それは単に墓を訪問するだけでなく、その前で故人回顧した墓碑銘拓本取ったりするといった、典雅な趣味であった中尾軒の『江都名家墓所一覧』(1818年文化15年〉)や暁鐘成の『浪華名家墓所集』のように、故人業績墓所所在地など情報を一覧に整理してまとめたカタログないしガイドブック的な書物である「掃苔録」も、すでに当時から作成出版されている。江戸時代掃苔家としては、池田英政大田南畝曲亭馬琴などが挙げられる近代に入ると、掃苔家により結成された各同好団体が、墓石形状銘文および被葬者略伝紹介した同人誌機関誌発行するようになり、代表的なものとしては東都掃墓会の『見ぬ世の友』、東京名墓顕彰会の『掃苔』などがある。掃苔録も近世から引き続いて編集され都市部のみならず地方墓所焦点当てたものも登場した。特に藤浪和子1940年昭和15年)に刊行した東京掃苔録』は593寺・2477名を収録しており、以後再版繰り返されている名著である。近代著名な掃苔家には森鷗外永井荷風らがいる。 昭和時代戦後には文芸評論家野田宇太郎が、それまで掃苔包摂しつつも訪問対象をより広げ文豪にゆかりある地を巡り歩くという「文学散歩」を提唱確立した現代において掃苔趣味健在であり、平成時代には墓巡りをする人を指す語として「墓マイラー」が新たに造られた。また、霊園著名人の墓所明示した霊園マップ」をあらかじめ用意しているほか、個人掃苔成果インターネット上で公開する例が見られる2013年平成25年)には青山霊園内の著名人の墓所情報収録したiPhoneアプリ掃苔之友青山』が登場し墓所への訪問はより容易になってきている。

※この「掃苔の歴史」の解説は、「墓めぐり」の解説の一部です。
「掃苔の歴史」を含む「墓めぐり」の記事については、「墓めぐり」の概要を参照ください。

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