掃苔家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:29 UTC 版)
剛一は、偉人や著名人の墓を訪ね歩く掃苔活動を趣味とし、同好団体の東京名墓顕彰会を設立したほどであった。妻の和子も同会の機関誌『掃苔』の編集を手伝ううちに影響されて掃苔に没頭していき、家事の合間を縫って東京の諸寺院を巡り、各故人の墓を調査するようになり、1940年(昭和15年)にはその成果をまとめた『東京掃苔録』を出版するに至った。同書は593寺・2477名を収録しており、以後も再版が繰り返されている名著である。 剛一と和子の墓所は、日泰寺(愛知県名古屋市千種区)と多磨霊園(東京都府中市)にある。
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