拝上帝会の興隆とは? わかりやすく解説

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拝上帝会の興隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 05:09 UTC 版)

太平天国の乱」の記事における「拝上帝会の興隆」の解説

以下、暦日は、断りがない限りグレゴリオ暦よる。清の時憲暦や、太平天国独自に制定した天暦による暦日を特に記す場合は、その旨元号による年表と共に記す。 広東省広州府花県客家出身である洪秀全はたびたび院試科挙初期段階)に失敗したため、約40日間病床臥せていたが、その間不思議な夢を見たという。その夢とは、上帝ヤハウェ思われる気品漂う老人から破邪の剣与えられ、またイエスらしい中年の男から妖を斬る手助け受けたというものだった洪秀全は病が癒えてから広州受験訪れた際、そこでプロテスタント勧誘パンフレット『勧世良言』を入手し以前見た不思議な夢の意味を「理解」し、キリスト教目覚めることになる。この不思議な夢とキリスト教接合は、ロバート・モリソン聖書翻訳する際にゴッドGod)を音で表記せず、「上帝という訳語を与えた起こった思われる洪秀全キリスト教教え中でも特に上帝唯一神であることを強く意識し偶像破壊熱心に行った。元々多神教的な土地柄である中国では儒教道教仏教まつわる廟が多かったが、それらを破壊し、ただ上帝だけをあがめることを求めた。そのため郷里広東省での布教活動一族数人賛同者得ただけで成功しなかった。洪秀全効果的な布教方法模索せざるを得ず、「原道救世歌」や「原道醒世訓」という布教文書著した1847年太平天国前身組織拝上帝会広西省潯州府桂平金田村創設した。この地において数少ない賛同者1人であった馮雲山布教活動行い約3千人信徒獲得し洪秀全迎えて立ち上げたのである拝上帝会参加者は、炭焼き貧農鉱山労働者客家などの低階層中心であった郷里花県成功せず、この桂平県で成功した大きな理由一つに病調伏等の現世利益重視布教がある。単なる宗教的熱意倫理説くばかりでなく、現在の生活でのメリット強調することで馮雲山多く信徒獲得した。しかし組織の拡大は、公権力やその土地有力者との摩擦生じさせた。馮雲山をはじめ拝上帝会成員逮捕が相次ぎ洪秀全それまで宗教活動から政治革命へと踏み出すことを決意する1850年拝上帝会金田村集結して団営という軍事組織結成した。そこでは厳しく男女別ちそれぞれ男営・女営に入営させた。これ以前よりガチョウ鳴き声カモフラージュしながら、鉄砲大砲等の武器密造し革命の準備進めていたが、金田村集結する過程清朝軍隊自警団との小競り合い発生した金田村集結した人々1万から2万といわれるが、このうち成年男子は3千人ほどだったという。しかしそれでも数倍もある清軍を打ち破り革命火蓋を切った金田蜂起)。

※この「拝上帝会の興隆」の解説は、「太平天国の乱」の解説の一部です。
「拝上帝会の興隆」を含む「太平天国の乱」の記事については、「太平天国の乱」の概要を参照ください。

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