技術・軍事面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 02:46 UTC 版)
技術面・軍事面でも、SDIは当初から批判に曝されてきた。例えば『トライアッド』の場合、直径5メートルの収束ミラーを持つ出力5メガワットの化学レーザー(2007年現在も実用化されていない規模の大出力レーザーである)を高度1,200kmの上空に24機配備することで、約200基の敵ICBMの迎撃を目指していた。これだけでも大がかりだが、ごく単純な対抗手段、例えばミサイル表面を磨いてレーザーを反射する、グリースなどを塗ることでレーザーの熱を拡散する、レーザーが一ヶ所に集中しないようミサイルをゆっくり回転させる、といった方法で簡単に無力化してしまうことが危惧されていた。 これに対しては、より大型・大出力のレーザーや、高エネルギーのレーザーを断続的に発射する『パルスレーザー』の開発で対抗しうるとされていたが、それは同時に技術的なハードルがさらに増すことを意味していた。『トライアッド』に限らず、多大な費用と手間をかけて高度な迎撃システムを構築しても、より安価で単純な対抗策で無力化するという懸念は、SDI構想に常につきまとっていた。 衛星軌道上への配備にも問題があった。当時、トライアッドのような大型の衛星を大量に衛星軌道に運搬する手段はスペースシャトルしかなかったが、1986年のチャレンジャー号爆発事故によってシャトルの打ち上げは2年間中断。ミッション再開後も様々な問題から打ち上げ回数は回復せず、目標の25 - 40回(最終的には年50回を目指していた)には遠く及ばなかった。バンデンバーグ空軍基地からの打ち上げも中止され、軍事衛星には不可欠な極軌道への投入も難しくなった。スペースシャトルの挫折と共に、SDI構想も行き詰まったと言える(一方、ソ連は多大な財政支出を強いられながらも、スペースシャトルに対抗する大型ロケット・エネルギアと宇宙往還機・ブランの開発を着々と進めていた。1980年代後半には有人飛行目前のレベルにまで達しており、運搬手段だけで言えば、アメリカの優位は揺らぎつつあった)。 さらに、SDIの各種兵器の実験には、数々の不正(言うなれば「やらせ」)が行われていたと言われている。不正は例えば、センサーや追跡システムの能力不足などから目標の追跡失敗が相次ぐと、ダミーの標的に、センサーが探知・捕捉しやすいように赤外線をより多く発するよう細工する、といった形で行われた。当初はこれらの不正は、ソ連側に開発が順調に進んでいると見せかけ、牽制するプロパガンダのために行われていたが、後にそれは、予算獲得や研究の継続のために成果を捏造するといった、内向きの理屈にすり替わっていった。 SDIで得られた成果のいくつかは、例えば後のTHELやAL-1に生かされることとなり、全くの無駄に終わったとは言えない。一方、これらの新世代の兵器においても、未だ実戦に耐えるレベルには程遠いという意見もある。
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