手紙と尋問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:54 UTC 版)
「ブラック・ダリア事件」の記事における「手紙と尋問」の解説
1947年1月21日、ロサンゼルス・イグザミナーの編集者であるジェームズ・リチャードソン (英: James Richardson) の事務所に、ショート殺害の犯人を称する人物から電話が来た。その人物はロサンゼルス・イグザミナーによるこの事件の報道についてリチャードソンを祝福し、最終的には自首するつもりだが、警察による追及がさらに及ぶ前には自首しないつもりでもあると述べた。さらに、"expect some souvenirs of Beth Short in the mail" (ベス・ショートの形見が郵送されるのを期待しろ) とも発言した。 1月24日、怪しげなマニラ紙の封筒がアメリカ合衆国郵便公社の職員により発見された。封筒は「ロサンゼルス・イグザミナーおよび他のロサンゼルスの新聞社」に宛てられており、文は新聞の切り抜きを切り貼りして作られていた。そのうえ、封筒の前面には大きく"Here is Dahlia's belongings [,] letter to follow" (ダリアの所持品在中、手紙は追って) と書かれていた。封筒の中にはショートの出生証明書、仕事用の名刺、写真、名前の書かれた紙片、表紙にマーク・ハンセン (英: Mark Hansen) という名前が浮き彫りされた住所録が入っていた。封筒はガソリンで慎重に洗浄されており、その様相はショートの遺体と同様だった。これにより、警察は封筒は殺人者が直接送付したものと疑った。しかし、封筒は洗浄こそされていたが、それでも指紋が部分的に数箇所検出され、連邦捜査局 (FBI) に検査のために送付された。しかし、指紋は運搬の過程で薄れており、適切に分析することができなかった。ロサンゼルス・イグザミナーが封筒を受け取った同日、ハンドバッグと黒いスエードの靴がショートの遺体が発見された場所から3.2キロメート離れた場所である、ノース・アベニューから少し離れた小道のゴミ箱の上で発見されたと報じられた。これらの物品は警察が回収したが、ガソリンで綺麗に拭われており、指紋が残っていなかった。 警察は封筒の中にあった住所録の持ち主であるマーク・ハンセンを被疑者とした。ハンセンは裕福な人物で、地元のナイトクラブや劇場の所有者であり、ハンセンの自宅にショートが友人たちと滞在したことがあった。また、一部の情報源によれば、ハンセンは小道で発見されたハンドバッグと靴が実際にショートのものであることも確認したという。ショートの友人でありルームメイトでもあるアン・トス (英: Ann Toth) は、ショートは最近、ハンセンから関係を迫られたが拒絶していたと証言し、これが殺害の動機になりうるという説を唱えた。しかし、ハンセンは殺害の疑いが晴れた。ロサンゼルス市警察はハンセンだけでなく、その後の数週間で被疑者と見なされた150人以上の男性を尋問した。マンリーは生きているショートを見た最後の人物の一人だったが、彼も捜査の対象となった。しかし、多数のポリグラフによる検査をパスして疑いが晴れた。警察はハンセンの住所録に記載されていた数名の人物も尋問した。その中にはショートの知り合いだったマーティン・ルイス (英: Martin Lewis) も含まれていた。ルイスはショートが殺害された日のアリバイを証明できた。オレゴン州ポートランドに住む義父が腎臓の不調で死の縁にあり、会いに行っていたのである。 ロサンゼルス市警察や他の部局の合計750人の捜査官が初期段階の捜査に取り組んだ。その中には450人の保安官代理や250人のカリフォルニア・ハイウェイ・パトロール(英語版)の局員も含まれていた。証拠を求めて様々な場所が捜索された。その中にはロサンゼルス中の雨水の排水管や遺棄された建造物、ロサンゼルス川沿岸の様々な場所も含まれる。しかし、捜査では更なる証拠は得られなかった。市議会議員のロイド・G・デーヴィス (英: Lloyd G. Davis) は殺人者につながる情報の褒賞として10,000ドル (2017年現在の109,776ドルに相当) を出すことを広告した。褒賞が出るという告知の後、様々な人物が出頭したが、そのほとんどは警察により嘘として却下された。そのうちの数名は公務執行妨害で起訴された。
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