所掌業務拡大と編制改正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:38 UTC 版)
「陸軍航空技術研究所」の記事における「所掌業務拡大と編制改正」の解説
1940年(昭和15年)3月末、陸軍航空技術研究所令が一部改正され(勅令第205号)、同令第1条で研究所の業務に「航空に関する固定無線所施設、補修等を行う」ことが加わった。同年7月末には陸軍航空技術研究所令が再度改正された(勅令第490号)。同令第1条の改正で航空技術研究所は「航空に関する兵器の考案、設計および審査、ならびに航空に関する燃料および脂油、兵器材料等の考案および審査を為し かつ航空技術、航空衛生、航空被服、航空糧食および航空に関する特殊施設に関する調査、研究および試験を行い その改良進歩をはかる」と定められた。 研究所の業務は従来まで飛行機の機体および発動機の研究が主体であったものが、航空武器、弾薬、飛行機装備器材、材料、燃料、航空衣糧、航空衛生等の分野が強化された。所掌業務の拡大は終わりの見えない日中戦争に対応するため陸軍中央が軍備充実計画を更改し、昭和十五年軍備改変要領その一(軍令陸乙第6号)、同その二(軍令陸乙第22号)を実施することに伴うものである。研究所の編制は総務部と第一部から第八部までに改められた。 研究所編制改正に先立つ同年4月、研究所長安田武雄中将は核分裂に関する研究に着目し原子爆弾の可能性についての研究を所員鈴木辰三郎大尉に命じ、翌1941年4月、理化学研究所仁科研究室(仁科芳雄博士)へ原子爆弾製造に関する研究が正式に委託された。 1941年(昭和16年)7月、研究所は日本各地に出張所を設置した。各出張所名と所在地は次のとおり(1941年7月時点)。 太田出張所(群馬県新田郡太田町)、荻窪出張所(東京市杉並区宿町)、熱田出張所(名古屋市港区大江町)、大曽根出張所(名古屋市東区大幸町)、各務原出張所(岐阜県稲葉郡蘇原村)、明石出張所(兵庫県明石郡林崎村)、北立川出張所(東京府立川市)、砂川出張所(東京府北多摩郡大和村)、調布出張所(東京府北多摩郡調布町)、大阪出張所(大阪市此花区島屋町) 同年12月、日本は米英など連合国に対し太平洋戦争を開始した。従来の日中戦争に加えた戦域の拡大は軍備、補給等に変革を必要とし、兵器の開発、生産強化とその業務の敏速な実施が急務となった。
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