戸塚ヨットスクールと事件
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1976年、株式会社戸塚ヨットスクール開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃不登校などの情緒障害児の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の治療を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した上之郷利昭が著した『スパルタの海』(支援者である伊東四朗主演で映画化されたが戸塚の逮捕によりお蔵入り、出獄後の2005年支援者によりDVD化、2011年に劇場公開された)では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名(2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のままみなし死亡)を出す。 1983年6月13日、戸塚ヨットスクール事件が発覚、コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で逮捕。 1986年7月、保釈される。早稲田祭で人物研究会の招きにより講演。以後も日本テレビ「EXテレビ」など各種メディアに登場、脳幹を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できるという趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する。 1992年7月7日、名古屋地裁は戸塚宏とコーチ6名に対して傷害致死罪で執行猶予付きの有罪判決、検察被告とも控訴。 1997年3月12日、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。 1999年、「電磁界等を考えるシンポジウム京都会議」に、発起人の一人として名を連ねる。 2002年2月15日、最高裁判所は上告を棄却。 2002年3月11日、無罪を主張するが退けられ懲役6年の刑が確定。「教育か、暴力か」が争点となったが、自身を含む15人全員の有罪が確定した。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。 2002年3月29日、名古屋高等検察庁へ出頭。出頭直後、護送車で名古屋から静岡に護送され静岡刑務所に収監される(懲役6年だが、未決勾留日数の一部を刑に算入されている為、実際の刑期は4年間)。
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