戰國策とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 学問 > 歴史 > 史書 > 戰國策の意味・解説 

せんごくさく【戦国策】

読み方:せんごくさく

中国史書33巻。前漢末の劉向(りゅうきょう)編。成立年未詳戦国時代諸国遊説した縦横家策謀国別集めた書。国策


戦国策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 00:04 UTC 版)

戦国策』(せんごくさく)は、中国戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に分類し、編集した書物(全33篇)。前漢劉向の編。「戦国時代」という語はこの書に由来する。

成立

もともと『国策』『国事』『事語』『短長』『長書』『脩書』といった書物(竹簡)があったが、これを前漢劉向紀元前77年紀元前6年)が33篇の一つの書にまとめ、『戦国策』と名付けた[1]後漢建安年間に高誘中国語版(こうゆう)がはじめて注釈をつけたが、8篇分しか現存しない[2]代に異本が多く出て篇数に混乱をきたしたため、唐宋八大家のひとり北宋曾鞏(そうきょう)が再校訂を行い33篇を復元したが、これが現行テキストの祖本である[3]。曾鞏の系統以外には、宋代の鮑彪中国語版(ほうひゅう)が国の分類と年代順序を厳密にし、本文にも大胆な校訂を施した10巻本(括蒼本、鮑彪本)がある[4]。日本に流布してきた伝本は概ねこれを祖本とするものであった。

日本では古くは9世紀後半の藤原佐世日本国見在書目録』に書名が記録される。江戸時代には広く読まれ、林羅山が訓点本を作成するなど多くの漢学者が校注を施したが、中でも横田惟孝(乾山)の『戦国策正解』[5]が定本となった。[6]

1973年に長沙馬王堆漢墓・三号墓から出土した帛書馬王堆帛書)には、『戦国策』の縦横家に関する記述と類似した記述があり、『戦国縦横家書中国語版』と名付けられた[7]。墓主の葬は前168年とされるので、劉向の『戦国策』編纂以前の姿が一部見られるようになった[8][9]

背景

戦国時代 (中国)の時代区分については諸説ある。下限を秦の天下統一の年(BC・222)とすることに異見はないが、上限を趙・魏・韓の三国が晋を三分した年(BC・453)とする説と、趙・魏・韓の三国が周の威列王に依って諸侯と認定された年(BC・403)とする説とがこれである。しかしこれらのことは実際何れとも決め難いことであるので、戦国時代とは、一般に春秋時代(BC・722〜481)に接続する周王朝末期の二百数十年とされる。また、戦国時代という呼称は、春秋時代が、孔子の著したと言われる史書の名『春秋』、 に因んで附けられたように、「戦国策」という書名に拠って附けられたことも注目すべき点である[10]

春秋時代を経て戦国時代に入ると、周の封建制度が瓦解し、小国は大国に吸収、併呑され各国が領土の獲得に狂奔し、いたるところで侵略戦争が行われていた。しかし、各国は武力での侵略を極力回避した。なぜなら、武力による侵略では勝敗にかかわらず国力の疲労をもたらし、他国に乗ずる隙を与えるからで、西周などの小国はもとより、などの大国も、極力、平和的外交手段により打開しようとした。その一方で様々な思想が生まれ、法家商鞅儒家孔子などの学者、思想家や、また諸国を遊説し外交を論じる縦横家(または遊説家)などに活躍の場を与えた。 『戦国策』中で活躍しているのは、概ねこの縦横家(説客)である。

評価

『戦国策』の今ひとつの注目すべき点は、文章が優れていることである。このことは漢代の文豪で大史家たる司馬遷の、史記の文章の祖型は、総て『戦国策』に求め得ると評されたり(ただし、司馬遷は劉向に先立つ時代の人であり、『史記』も『戦国策』の編纂に先立つ)、宋の文豪蘇東坡の雄渾な文章は総て『戦国策』に基づくと批評されていることで判る。更に明代の儒者王党が「弁麗横肆、亦た文辞の最」とたたえ、やはり明代の文学者王世貞が「戦国策は文に聖なる者か。その叙事は則ち化工の肖物なり」と絶賛していることを併せ考えると、古来『戦国策』の文章が如何に高く評価されていたかが一層明らかになる。また、特筆すべきは、司馬遷の『史記』中、戦国時代の人物についての資料は、その十中八九が『戦国策』から求められたとされる。この点から見ると『戦国策』は、自ら歴史たるにとどまらず、資料の宝庫であったこともわかる[11]

内容

この『戦国策』の記事は、悼公の起こったの元年(前476)から始皇帝215年(前222)に六国が滅亡するまでの250余年にわたる、戦国遊説の士の策謀の辞である。

目録

  • 東周策
  • 西周策
  • 秦策
    • 秦二
    • 秦三
    • 秦四
    • 秦五
  • 斉策
    • 斉二
    • 斉三
    • 斉四
    • 斉五
    • 斉六
  • 楚策
    • 楚二
    • 楚三
    • 楚四
  • 趙策
    • 趙二
    • 趙三
    • 趙四
  • 魏策
    • 魏二
    • 魏三
    • 魏四
  • 韓策
    • 韓二
    • 韓三
  • 燕策
    • 燕二
    • 燕三
  • 宋衛策
  • 中山策

日本語訳書籍

常石茂 訳『戦国策』12~22篇。平凡社東洋文庫、1966年、ISBN 4582800866
常石茂 訳『戦国策』23~33篇。平凡社東洋文庫、1967年、ISBN 4582800645。のち各ワイド版、2003年
常石訳の底本は、曾鞏33篇本系統の『重刻剡川桃氏本戦国策(ジュウコクエンセンヨウシボンセンゴクサク)』同治己巳(1869年)湖北崇文書局刊
近藤訳の底本は、士礼居黄氏『重刻剡川姚氏本 戦国策』黄丕烈景刊 嘉慶8年(1803年)

注・出典

  1. ^ 常石茂訳 中国古典文学大系 7 『戦国策』解説 p.552下段。劉向の序文『戦国策書録』冒頭にいわれがある。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:戰國策/劉向書錄
  2. ^ 2~4、6~10巻。中国古典文学大系 7 p.552下段。
  3. ^ 中国古典文学大系 7 p.553上段。
  4. ^ 中国古典文学大系 7 『戦国策』解説 p.553上段 。
  5. ^ 版本は『漢文大系 第19巻 戦国策正解』、1976年、冨山房ISBN 4572000816 、増補版 普及版、1984年、横田惟孝注解・安井小太郎補正校訂、ISBN 4572000816
  6. ^ 中国古典文学大系 7 p.553下段。
  7. ^ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:戰國縱橫家書
  8. ^ 近藤光男 編訳『戦国策』解説 p.358 。
  9. ^ 大西克也・大櫛敦弘 著『戦国縦横家書』 (馬王堆出土文献訳注叢書) 2015年 東方書店 ISBN 978-4-497-21513-0
  10. ^ 澤田正熙『戦国策 上』明徳出版社(原著1968年11月30日)、11頁。 
  11. ^ 澤田正熙『戦国策 上』明徳出版社(原著1968年11月30日)、23-24頁。 

関連項目

外部リンク




戰國策と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戰國策」の関連用語

1
70% |||||

2
52% |||||


4
32% |||||

5
30% |||||

6
16% |||||

7
14% |||||

8
14% |||||

9
14% |||||

10
14% |||||

戰國策のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戰國策のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの戦国策 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS