戦術、作戦能力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/24 17:41 UTC 版)
結論から言えば海龍の作戦能力は限定的なもので、戦果を挙げることは難しかったと推定される。 戦術としては、海龍は夜間に基地を発進し、敵艦隊に攻撃を行う。主として敵上陸部隊への攻撃が想定された。接敵までは浮上航行し、近づいてから潜航する。敵艦に対する理想的な魚雷の発射距離は800m。魚雷発射後に体当たりを行なうものとされた。出撃艇数は12隻で1隊とされた。配置は敵に対して一列の散開線または複列の散開面を作り、進撃して敵と接触するか、あるいは待敵する。ただしこれを実現するためには様々な障害を排除する必要があった。 まず海龍の速力は低く、雷装時には非雷装時と比べて速度が半減した。相互の通信能力は無いため、艇間で連携して行動することはできない。艇ごとの個別攻撃のみが行え、指揮管制は受けられなかった。索敵能力は艇長の小型潜望鏡のみであり、限られた視界で敵を探し出し、敵の速度、方向、距離を計算し、魚雷を命中させなければならなかった。こうした機動力、索敵能力の要素から、海龍は夜間に浮上航行で接敵するものとされたが、これは敵の護衛艦による探知の可能性を高めるものだった。護衛を潜航でやり過ごした後に800mまで接近、魚雷発射に移る。魚雷攻撃後には体当たりを行なうが海龍の潜航速度は10ノット程度と低く、近づけたかには疑問が残る。実例としては、1945年6月下旬の大島・房総半島間での総合夜間訓練に第11突撃隊の海龍3隻が参加したが、2隻は目標を発見できずに終わっている。 こうした戦闘を行なう以前として、沖縄の甲標的部隊の戦例を見ても、連合軍はまず陸上基地に熾烈な攻撃を加えるため、海龍の基地に先制攻撃が加えられて基地機能が破壊される可能性は高かった。 一方で海龍の対艦能力には以下の演習例がある。1945年5月16日から18日にかけて横須賀鎮守府第一次特攻合同演習が行なわれた。この時、海龍は夜明けに停泊中の艦船を攻撃するという想定で襲撃を実施した。時間は17日の夜明けであり、充分な明度のもと、雷撃を予期して10名の見張員による監視が行なわれていたが、魚雷発射まで海龍が発見されることはなかった。また魚雷は目標に命中した。
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