戦国〜安土桃山時代の武家官位とは? わかりやすく解説

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戦国〜安土桃山時代の武家官位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:54 UTC 版)

武家官位」の記事における「戦国〜安土桃山時代の武家官位」の解説

戦国時代になると、幕府権力衰え大名直接朝廷交渉して官位を得る直奏の例が増加することになる。朝廷資金的に窮迫すると、大名達は献金見返りとして官位求め朝廷もその献金見返りとして、その武家の家格上の官位発給することもあった。たとえば左京大夫大名中でも四職家にしか許されないであったが、戦国期には地方の小大名ですら任じられるようになり、時には複数大名同時期に任じられることもあった。大内義隆至って高額献金背景に、最終的に従二位兵部卿という高い官位得ている。官位権威づけだけではなく領国支配正当性や戦の大義名分としても利用されるうになる。その主な例として、大内氏少弐氏対抗するために大宰大弐求めた例、三河国支配正当化するために織田信秀今川義元徳川家康三河守求めた例がある。 一方この時代には、朝廷からの任命受けないまま官名自称僭称)する例も増加した織田信長初期名乗った上総介もその一つである。また、官途書出受領書といって主君から家臣恩賞として官職名授けるといったものまで登場した豊臣秀吉織田家重臣時代使った筑前守や、明智光秀使った日向守もこの一つ考えられる豊臣秀吉公家最高位である関白として天下統一を果たすと、豊臣氏宗家摂関家豊臣氏庶流および徳川前田・上毛利宇喜多諸氏清華家格とする家格改革を行うなど、諸国大名官位授けて律令官位体系取り込むことで統制行おうとした。ところが、ただでさえ公家官位が不足気味だったところへ武家高位への任官相次いだために、官位昇進体系機能麻痺起こしてしまう。その結果大臣任用要件有する公家不在となってしまい、秀吉死去した際(1598年)には、内大臣徳川家康最高位官位保有者であるという異常事態至った。また秀吉同じく海外志向であった武将亀井茲矩申し出対し律令に無い官職である琉球守(現在の沖縄)や台州守(現在の中国浙江省台州市)など異例な名乗り許している。これは厳密に言えば朝廷にとって由々しき事態であったが、秀吉海外進出挫折する亀井名乗り国内官職回帰した。

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