戌立石器時代住居跡
戌立石器時代住居跡
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座標: 北緯36度21分41秒 東経138度23分07秒 / 北緯36.36139度 東経138.38528度 戌立石器時代住居跡(いんたてせっきじだいじゅうきょあと)は、長野県東御市滋野乙にある縄文時代中期~後期の集落遺跡である。1933年(昭和8年)2月28日に国の史跡に指定された。
解説
文化庁はこの建物遺構について、次のように解説している[1]。
三方峰ノ西南麓ノ畑地ニ在リ直徑約五間半略ニ圓形ノ地域ヲ石ヲ以テ劃シ中央ニ爐阯アリ 之ヲ繞リテ大小不同ノ鐵平石ヲ敷キタル處アリ南ニ幅三尺長サ約十五尺ノ石敷アリ其兩側ニハ入口ト認ムヘキ耳石ヲ存ス區域内ニ多數ノ縄紋土器破片並ニ石器ヲ發見セリ — 文化庁
1930年(昭和5年)、小規模な発掘を行ったところ、竪穴建物跡や炉跡、獣骨片・土器類・磨製石斧・石鏃などの多数の出土品が発見された[2]。これを受けて、隣接する寺ノ浦石器時代住居跡と合わせて、1933年(昭和8年)国の史跡となった[2]。史跡に指定された際、日本最初のものと言われる復元建物が建てられたが、後に老朽化により崩壊した[2]。現存する復元建物は、1988年(昭和63年)に地元住民の協力によって再復元されたものである[2]。
1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけて、遺跡範囲確認調査が行われ、文部省が史跡指定した建物跡を中心として約63,000平方メートル、小諸市にわたる部分まで含めると約80,000平方メートル以上におよぶ大遺跡と判明した[2]。
交通案内
脚注
出典
関連項目
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