復旧・復興と防災工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:07 UTC 版)
「#雲仙岳の防災」も参照 火砕流によって破壊された地区のうち、平成新山周辺、水無川上流部は山体崩壊のおそれがあるため、未だ警戒区域に指定されたままである。土砂によって完全に埋まった水無川は浚渫され、堤防や橋梁が強化された。なお、国道57号の水無川橋は度重なる火砕流・土砂により崩壊し、新しく水無大橋が建設された。下流域においては土砂が膨大のため除去作業は不可と判断され、土砂の上に新しく住宅街が建設された。また、国道251号には道の駅みずなし本陣ふかえが設置された。 有明海沿岸においては運び出された土砂によって埋立地(平成町)が造られ、そこに雲仙岳災害記念館と島原復興アリーナ・島原勤労者総合福祉センターが建設された。島原市水無川沖の有明海海底には、火山灰などが20~80センチメートル泥状化して堆積し、自然回復が困難となっていたので、底質地盤改善工事が進んでいる。 被災区間を通っていた島原鉄道線は一部高架化の上で復旧したが、利用者減少により、2008年に被災区間を含む島原外港駅 - 加津佐駅間が廃止された。 持ち家の全壊世帯には1000万円の支援が実施された。高台には被災者向けに「仁田団地」のような住宅地が新たに造成された。 農業従事者の離農を防ぐため、様々な支援が行われた。農業改良普及センターでは被災農家全世帯(667戸)への聴き取り調査を行うとともに、1999年まで5回にわたり農業再開希望者を対象とした相談会を催した。取扱作物の転換を図る者には研修手当が支給され、復興基金からはビニールハウス設置費用、または移転費用の助成金が支払われている。さらに並行して被災地域の灌漑施設整備も行われた。2000年の農業再開時において被災地域の農家は374戸まで減少していたが、こうした支援策が功を奏し、島原市と深江町の農業生産額は2005年に被災前とほぼ同水準まで回復した。 火砕流で焼け野原になった島原市千本木地区の約4ヘクタールでは、災害後に設立された市民団体「雲仙百年の森づくり会」がクヌギ、ツバキ、サクラなど3万3000本を植樹した。
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