復旧勅令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:43 UTC 版)
デンマークを破った皇帝フェルディナント2世の権威は、1629年3月6日の復旧勅令発令で1552年以降プロテスタント諸侯に没収された教会領地をカトリック側に返還することを命じた。また、皇帝の許可の無い同盟の締結も禁止された。これは皇帝権のピークであり、皇帝絶対主義を意味した。ただし、これはカトリック教会の再建というよりも、ハプスブルク家門勢力の増大が意図されたものだった。 しかし、領土削減の危機に立たされたプロテスタントのザクセン選帝侯はおろか、カトリック選帝侯バイエルン公も反対に回り、1630年8月のレーゲンスブルク選帝侯会議ではヴァレンシュタイン軍の横暴であるため罷免を求め、復旧勅令はハプスブルク家によって利用されていると批判した。皇帝は復旧勅令については譲歩しなかったが、ヴァレンシュタイン罷免には同意した。この時、すでにスウェーデン軍はポメルンに上陸していた。
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