御厨古墳群とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 御厨古墳群の意味・解説 

御厨古墳群

名称: 御厨古墳群
ふりがな みくりやこふんぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 磐田市鎌田新貝
管理団体 磐田市平成15.09.04)
指定年月日 2001.03.26(平成13.03.26)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 磐田市には、天竜川東岸形成され磐田原台地縁辺部を中心に500基を越え古墳密に分布し寺谷銚子塚古墳新豊院山古墳群史跡指定されているところである。今回指定しようとするのは、磐田原でも有力古墳がもっと集中する台地東南部地域にあり、著明前期古墳である松林山古墳前方後円墳:107m)をはじめ現在の新貝鎌田地区旧御厨村)に群在する御厨古墳群で、松林山古墳のほか、同じく前期稲荷山古墳前方後円墳:48m)・秋葉山古墳円墳:54m)・高根山古墳円墳:52m),古墳時代中期から後期御厨堂山古墳前方後円墳:50m)の4基をあわせた計5基である。
 松林山古墳は,昭和6年後藤守仙らによって調査され復円部にある約8m竪穴式石室から,内行花文鏡三角縁神琴鏡を含む鏡4面,玉類,琴柱石製晶や石釧貝釧多量鉄製武器類短甲などの武具,また銅鉱巴形銅器など,豊かな副葬品が未盗据で副葬当時のままに出土した前期古墳学術調査として早い時期のものであり、豊かな副葬品埋葬当時の状態で把握できた前期古墳副葬品組み合わせとして今なお典型例となっている。
 残る4基については、平成9・10年度に磐田市教育委員会確認調査実施したその結果高根山稲荷山秋葉山古墳については、これまでほとんど内容不明であったが、墳丘規模構造明らかになり、埴輪壺形土器類の資料もえられた。御厨堂山古墳については,明治29年に鏡や鋼釧・鉄鏃須恵器類が出土しているが,発掘調査三つ主体部確認され、うち第2・3主体からの出土推測された。
 御厨古墳群としては、これら5基のほか、明治20年頃に東海道線敷設ともなって三角縁神獣鏡発見され前期経塚古墳前方後円墳:約90m)、昭和4546年調査され中期連城5号墳旧称新貝17号墳円墳:31m)があった。また、群の南端にある目隠山古墳直径35mの円墳であり、古墳時代中期築造推定されるが、今回指定含めることができなかった。
上のように,御厨古墳群は,失われたものも含めて大型前方後円墳円墳などから構成され古墳時代前期中心とする古墳群である。やや西方にかつて存在した中期前方後円墳である堂山古墳現存する同じく中期安久路古墳群北方二子塚や甑塚古墳などの後期古墳とともに磐田原台地東南部古墳時代通して有力な地位保ってきたことを示すものである。御厨古墳群は、これらのとなる重要なもので、遠江そして静岡県古墳時代考え上で欠くことのできない古墳群である。よって史跡指定し保存図ろうとするものである

御厨古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/15 13:56 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
御厨古墳群

松林山古墳
種類 古墳群
所在地 静岡県磐田市鎌田・新貝
座標 北緯34度43分10.48秒 東経137度53分16.70秒 / 北緯34.7195778度 東経137.8879722度 / 34.7195778; 137.8879722座標: 北緯34度43分10.48秒 東経137度53分16.70秒 / 北緯34.7195778度 東経137.8879722度 / 34.7195778; 137.8879722
御厨古墳群
御厨古墳群の位置

御厨古墳群(みくりやこふんぐん)は、静岡県磐田市鎌田・新貝にある古墳群。5基が国の史跡に指定されている。

概要

静岡県西部、天竜川東岸の磐田原台地南東縁、太田川が形成する沖積平野を望む位置に営造された古墳群である。古墳時代前期の前方後円墳円墳から構成される[1]。現存する主な古墳としては松林山古墳・稲荷山古墳・秋葉山古墳・高根山古墳・御厨堂山古墳の5基があり、松林山古墳では1931年昭和6年)に主体部の発掘調査が、他の4基では1997-1998年度(平成9-10年度)に確認調査が実施されている[2]

古墳群のうち最大規模の松林山古墳は、墳丘長107メートルを測る大型前方後円墳で、古墳時代前期の4世紀後半頃の築造と推定される[3]。1931年の発掘調査で多くの遺物が出土しており、その様相からはヤマト王権との強い結びつきが示唆される[3]。秋葉山古墳・稲荷山古墳は、松林山古墳と同時期の4世紀後半頃と推定されるが、築造方法からは在地豪族の墓と見られる[3]。高根山古墳は古墳時代中期の4世紀末頃の築造と推定され、松林山古墳の後継首長墓と位置づけられる[3]。また御厨堂山古墳は古墳時代中期の5世紀代の築造であるが、6世紀代の造り替えが認められる[3]。その他にも一帯では、三角縁四神四獣鏡(静岡県指定有形文化財)が出土した経塚古墳(非現存)や目隠山古墳など、数多くの古墳が分布する。

この御厨古墳群は、古墳時代前期-中期の営造と推定される。古墳群の様相からは、松林山古墳→高根山古墳→目隠山古墳・御厨堂山古墳という中央とのつながりが強い一族と、経塚古墳→秋葉山古墳→稲荷山古墳→新貝17号墳という別の一族の2つの並行する首長墓系譜が想定される[4]。また、特に松林山古墳は静岡県では代表的な前期古墳であり、その他の古墳もこの地域の有力古墳であることから、遠江地方の古墳時代を考察するうえで重要視される古墳群になる[2][5]

5基の古墳域は2001年(平成13年)に国の史跡に指定されている[1]

一覧

御厨古墳群の一覧[2][3]
古墳名 所在地 座標 形状 規模 出土品 築造時期 備考
主な古墳5基(国の史跡)
松林山古墳 磐田市新貝 位置 前方後円墳 墳丘長107m 銅鏡・釧・琴柱形石製品・
玉・刀・埴輪ほか
4世紀後半 1931年発掘調査
稲荷山古墳 位置 前方後円墳 墳丘長48m 土器 4世紀後半 1997-1998年度確認調査
秋葉山古墳 位置 円墳 直径54m 土器 4世紀後半 1997-1998年度確認調査
高根山古墳 磐田市鎌田 位置 円墳 直径52m 埴輪 4世紀末 1997-1998年度確認調査
御厨堂山古墳 位置 前方後円墳 墳丘長50m 刀・斧・土器 5世紀 明治後半発掘[4]
1997-1998年度確認調査
その他
経塚古墳 磐田市新貝 位置 前方後円墳 墳丘長90m 銅鏡 4世紀前半 1985-1886年に銅鏡出土
墳丘は非現存(東海道本線建設で消滅)
出土三角縁神獣鏡は静岡県指定有形文化財
新貝17号墳
(連城寺5号墳)
位置 円墳 直径30m 銅鏡 5世紀前半 墳丘は非現存
目隠山古墳 磐田市鎌田 位置 円墳 南北35m
東西33m
5世紀代

文化財

国の史跡

  • 御厨古墳群 - 2001年(平成13年)3月26日指定[1]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 御厨古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ a b c 磐田の文化財 2009.
  3. ^ a b c d e f 御厨古墳群パンフレット 2009.
  4. ^ a b 新いわた文化財だより 第6号 (PDF) (磐田市教育委員会文化財課、2005年(リンクは磐田市ホームページ))。
  5. ^ 御厨古墳群(国指定史跡).

参考文献

  • 史跡説明板(磐田市教育委員会、2005年設置)
  • 「国史跡御厨古墳群」 (PDF) (磐田市教育委員会文化財課、2009年)。 - リンクは磐田市立図書館「いわたデジタルアーカイブ」。
  • 「御厨古墳群」『磐田の文化財』磐田市教育委員会、2009年。
  • 御厨古墳群」『国指定史跡ガイド』講談社 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「御厨古墳群」の関連用語

御厨古墳群のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



御厨古墳群のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの御厨古墳群 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS