後代の解釈としてのワーディー・エル=アリーシュ説
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「エジプトの川」の記事における「後代の解釈としてのワーディー・エル=アリーシュ説」の解説
ナイル川のペルシウム河口部の消滅は、聖書に登場するシナイ地域の地理的理解に、多くの混乱をもたらした。 出エジプト記13:18-20 によれば、イスラエルの民がエジプトを離れた場所はスコテであった。「スコテ (Sukkot)」とは、ヘブライ語で「椰子の小屋」を意味するが、これはアラビア語では「エル=アリーシュ (El-Arish)」と訳される。この場所は、ファイユームの近郊にあり、9世紀末に当地で生まれたユダヤ教の注釈者サーディア・ガオン(Saadia Gaon)は、エル=アリーシュのワーディーこそがエジプトの川であると比定した。その後、エジプト出身のユダヤ教の注釈者たち(Radbaz (David ben Solomon ibn Abi Zimra)、Ishtori Haparchi (Kaftor Vaferech))は、この見方を踏襲した。ただし、ここでいうエル=アリーシュは、現在のエル=アリーシュのことではないと考えられる。Kaftor Vaferech は、この場所をガザからおよそ180キロメートルの距離にあるとしている。この距離はかつてのペルシウム河口部の位置に重なり、伝統的な見解とも矛盾しない。これに対して、現在のエル=アリーシュは、ガザから77キロメートルばかりの場所にある。 七十人訳聖書は、イザヤ書27:12 の Nachal Mitzrayim を Rhinocorura と訳した(ギリシア語で「鼻削ぎ」といった意)。この地名は、その変種として Rhinocolura とともに、ペルシウムを含むシナイ半島一帯を指して用いられたが、この場合も、伝統的な見解とは矛盾が生じなかった。ところが、この地名は、海岸沿いにエジプトの東方へと繋がる道路沿いにある、海岸の町の名にも使われた。ナイル川のペルシウム派川の消滅によって、七十人訳聖書の Rhinocorura はこの海岸の町であり、その町に水をもたらすワジのことだとする解釈を生んだ。当地を訪れる巡礼者たちは、このワジの河口にあったアラブ人の集落が、聖書に記されたスコテそのものであるか、その近くだと誤解し、この集落とワジにそれぞれ、エル=アリーシュ、ワーディー・エル=アリーシュと名を付けた。 ヘブライ語の nachal が英語で brookと訳されたことも、この川が小川であるという印象を与え、後代の注釈者たちの解釈に影響を与えることになった。この英語への訳は、一般的に誤訳とされている。後代のヘブライ語では nachal は小川を意味する傾向があるが、聖書時代のヘブライ語ではこの言葉は大小問わず水が流れる川を指す表現であった。また、この表現は、現代ヘブライ語におけるものも含め、アラビア語のワーディー (涸れ川) とは意味が重ならない。 エジプトの川をワーディー・エル=アリーシュに比定する見方は、今日でも広く流布した文献等にも受け入れられているが、考古学者にはほとんど相手にされていない。
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