後代の記録・伝承におけるルカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 05:27 UTC 版)
「ルカ」の記事における「後代の記録・伝承におけるルカ」の解説
4世紀、一説には2世紀のものとされる文書『ルカによる福音書への反マルキオン的序文』に、ルカはシリアのアンティオキアの出身で、シリア人、職業は医者」とする記述が現れる。この文書はまた、ルカは生涯独身で、84歳で亡くなったとも伝える。幾つかの写本はルカが亡くなったのはボイオーティアのテーバイであると追記している。 後代の伝承では、ルカの伝記はより明確化された。エピファニオスは七十門徒の一人にルカの名を挙げている。ヨハネス・クリュソストモスは、『コリントの信徒への手紙二』8:18に言う「私の兄弟」とは、バルナバとルカのどちらかを指すと考えていた。 また、ルカには画才があり、初めて聖母マリアを描いたとの伝承もあったため、中世の絵画作品等には、聖母子像を描くルカの姿が好んで描かれている。このため、中世ヨーロッパの画家・薬剤師のギルドは多くルカを守護聖人としている。また、ネーデルラントなどの諸都市にある画家ギルドは、共通して「聖ルカ組合」を名乗ることが多かった。
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