廣瀬徹也とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 廣瀬徹也の意味・解説 

廣瀬徹也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 23:01 UTC 版)

廣瀬 徹也(ひろせ てつや、1939年昭和14年〉10月18日 - [1])は、日本の元外交官。駐アゼルバイジャン特命全権大使、駐ジョージア特命全権大使などを務めた。

来歴・人物

1939年昭和14年)大阪市生まれ。1958年大阪府立清水谷高等学校卒業。1961年大阪外国語大学(現・大阪大学短期大学部英語科卒業。1963年(昭和38年)京都府立大学文家政学部文学科(英米文学専攻)卒業し外務省入り。語学研修生(専門職)として派遣を機にトルコに通算11年間、イスラエル米国カナダでは在トロント総領事館の首席領事として在外勤務。1990年北米局北米第一課地域調査官。1993年欧亜局ロシア新独立国家(NIS)室の室長。1996年ウラジオストク総領事[2]

2000年アゼルバイジャン特命全権大使[3]、同年10月グルジア(現・ジョージア)特命全権大使を兼任[4]2002年退官。本省勤務の間、国連開発計画(UNDP)東京連絡事務所の所長も務めた。

現在、アジア・太平洋国会議員連合中央事務局の事務総長、國學院大学法学部非常勤講師、民間外交推進協会中東文化経済委員会の委員、日本・ウラジオストク協会の名誉会長などを務めている。

著書

共編著

  • 『日本の中央アジア外交:試される地域戦略』(クリストファー・レン、宇山智彦、北海道大学出版会、2009年

出典

  1. ^ 著書『テュルク族の世界 シベリアからイスタンブールまで』自己紹介から
  2. ^ 産経新聞1995年平成7年)12月25日朝刊 外務省人事
  3. ^ 産経新聞2000年4月4日夕刊 ポーランド大使に上田氏 政府
  4. ^ 産経新聞2000年9月14日夕刊 外務省人事

広瀬徹也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/29 22:10 UTC 版)

広瀬 徹也
(ひろせ てつや)
生誕 広瀬 徹也
(ひろせ てつや)
1937年生まれ
日本大分県
居住 日本
国籍 日本
研究分野 精神医学
研究機関 東京大学医学部
帝京大学医学部
出身校 東京大学医学部医学科
東京大学大学院臨床医学系
医学博士東京大学1966年
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

広瀬 徹也(ひろせ てつや、1937年 - )は日本医学者精神科医帝京大学名誉教授医学博士[1][2]

うつ病の研究者として知られる。かつて日本に多く見られたうつ病(メランコリー親和型うつ病内因性うつ病)とは異なる抑うつ像の研究を行い、「逃避型抑うつ逃避型うつ病)」として提唱した。

来歴

学会

著書

編集

  • 広瀬徹也(編)『精神療法の実践的学習 —下坂幸三のグループスーパービジョン』星和書店、2004年11月。ISBN 9784791105595 

出典

  1. ^ a b 広瀬徹也(編)『精神療法の実践的学習 —下坂幸三のグループスーパービジョン』星和書店、2004年11月。ISBN 9784791105595 
  2. ^ a b 広瀬徹也. “躁うつ病の経過に関する研究 : とくに治療効果との関連について”. 国立国会図書館. 2013年9月17日閲覧。
  3. ^ 特定非営利活動法人臨床研究の倫理を考える会 - 委員名簿”. 2013年9月17日閲覧。

関連人物

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「廣瀬徹也」の関連用語

廣瀬徹也のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



廣瀬徹也のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの廣瀬徹也 (改訂履歴)、広瀬徹也 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS