広滝水力電気設立
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1891年(明治24年)に熊本電灯(後の熊本電気)が開業したことで始まった九州の電気事業は、その後熊本県以外にも長崎県・大分県・福岡県・鹿児島県と各地に広がっていき、1903年(明治36年)までに九州では11の事業者が出現していた。そのうち福岡市において1897年(明治30年)に開業した博多電灯(後の九州電灯鉄道)では、牟田万次郎という実業家が役員として参加していた。 牟田万次郎は旧鹿島藩出身の士族で、地元佐賀県で鹿島銀行頭取などを務めた後福岡に進出して博多電灯の役員に就任した。牟田は博多電灯に関わる中で実業家野口遵の知遇を得たことで水力発電についての知識を深め、これを有望と認めて佐賀県神埼郡脊振村(現・神埼市)を流れる筑後川水系城原川にて水力発電を行いその電気を福岡へと高圧送電する、という計画を博多電灯の経営陣に対して持ちかけた。しかし博多電灯は開業時から一貫して火力発電を電源としており、その経営陣や株主は牟田の提案に賛同しなかった。そこで牟田は博多電灯の事業としてではなく個人で城原川の水利権を取得した。1903年6月のことである。 城原川の発電所からは福岡市のみならず佐賀市・福岡県久留米市にも送電が可能という立地条件に着目した牟田は、この3市に電気を供給する「三市水電会社」の設立を当局に申請した。だが福岡市には先述の通りすでに博多電灯があり、久留米市でも地元有力者により久留米電灯の設立計画があったことから三市水電の設立は1905年(明治38年)7月に却下されてしまう。このため牟田は佐賀県内への供給を行うよう計画を改めて「広滝水力電気」の設立を申請し、1906年(明治39年)9月7日付にて当時の佐賀市内とその周辺や東川副村諸富・神埼町神埼を供給区域とする電気事業経営許可を得た。 広滝水力電気の発起人には牟田万次郎をはじめ、佐賀百六銀行頭取の中野致明、栄銀行頭取の伊丹弥太郎、深川造船所を経営する深川文十ら佐賀の代表的な財界人が名を列ね、下村辰右衛門・谷口清八ら佐賀馬車鉄道関係者も参加した。1906年11月4日、佐賀市内の佐賀商業会議所で創立総会が開かれ広滝水力電気株式会社が発足に至る。資本金は30万円で、本店は佐賀市大字松原108番地に設置。発起人から中野・牟田・深川・伊丹・下村の5名が取締役に選出され、その中から佐賀財界を代表して中野が社長に就任し、実務担当の専務には牟田が就いた。他の地域に比べると起業が遅いものの、これが佐賀県で最初の電力会社である。
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