下村辰右衛門とは? わかりやすく解説

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下村辰右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 13:57 UTC 版)

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4代 下村 辰右衛門(辰右衞門、しもむら たつえもん、1873年明治6年)2月8日[1] - 1933年昭和8年)8月25日[2])は、明治から大正期の実業家政治家貴族院多額納税者議員。旧姓・田淵、小説家下村湖人の養父。

経歴

佐賀県出身[2]。田淵茂左衛門の二男として生れ[1]、1896年(明治29年)3月、佐賀市牛島町の醸造業[3]、先代・下村辰右衛門の養子となる[1]。1900年(明治33年)1月に家督を相続した[1]

1902年(明治35年)以降、佐賀貯蓄銀行監査役、佐賀百六銀行(現三井住友銀行)監査役、佐賀馬車鉄道(のちの佐賀電気軌道)社長、広滝水力電気取締役、佐賀米穀取引所理事、佐賀商業会議所議員、佐賀市参事会員などを務めた[1][2]

1904年(明治37年)佐賀県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され[4]、同年9月29日に就任し[5]、1911年(明治44年)9月28日の任期満了まで1期在任した[2]

多額の資産を所有して羽振りの良い暮らしをしていたが浪費家で、ついに1919年(大正8年)頃には経済的に困窮し、養子の下村湖人が財産整理に当たった[6]

親族

  • 妻 下村ハツケサ(養父辰右衛門長女)[1]
  • 養子 下村湖人(本名・虎六郎、旧姓・内田)[1][7]
  • 長女 下村菊千代(下村湖人の妻)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』し60頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』225頁。
  3. ^ 『下村湖人伝』66頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、15頁。
  5. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  6. ^ 『下村湖人伝』66、102-103、304頁。
  7. ^ 『下村湖人伝』303頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 永杉喜輔『下村湖人伝:「次郎物語」のモデル』柏樹社、1970年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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