下村非文とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 下村非文の意味・解説 

下村非文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 06:42 UTC 版)

下村 非文(しもむら ひぶん、1902年2月2日 - 1987年8月13日)は、福岡県出身の俳人。本名利雄。築上郡(現豊前市)生。東京大学経済学部卒、台湾銀行に勤務。終戦後に引揚げ関西に住み証券業の要職を歴任。俳句は1926年、社内句会からはじめ、松本たかしに師事。1949年「ホトトギス」同人。1964年、田村木国の死去後「山茶花」主宰を継承。非文は「山茶花」外部の人間であったが、高浜年尾阿波野青畝の推挙により主宰についた。非文の主宰により、「山茶花」の勢力は飛躍的に増大し若手が多く育った。1978年、関西俳句友好訪中団を結成。旅行登山を好み大景を詠むことを得意とした。代表句「赤富士や百鳥晨をよろこべる」「夕焼けのヒマラヤ一座一座消え」など。句集に『莫愁』『猪名野』『千里』『桂花』などがある。妻の下村梅子は青畝門の俳人。




「下村非文」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「下村非文」の関連用語

下村非文のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



下村非文のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの下村非文 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS