帝国南極横断探検隊とは? わかりやすく解説

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帝国南極横断探検隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/15 13:47 UTC 版)

帝国南極横断探検隊(英文表記: Imperial Trans-Antarctic ExpeditionShackleton's ExpeditionThe Endurance Expeditionとも。1914年8月9日1917年)は、イギリス20世紀中に派遣した南極探検隊のうち、4番目の探検隊である。南極大陸の初横断を目指し、失敗した[1]。この探険は、文明圏から何千マイルも離れた地で探検隊の船が難破したあと、隊長であるアーネスト・シャクルトンとその隊員達が英雄的な努力によって南極から生還したことで有名である。数々の書籍が出版され、映画・ドキュメンタリー映像作品も制作された。


  1. ^ これはイギリスのフックス隊1958年に初横断を達成するのに先立つこと約50年前のことである。
  2. ^ ディスカバリー遠征1901年1904年)、ニムロド遠征(1907年〜1909年)、テラノヴァ遠征1910年1913年)の三回。
  3. ^ ワースリーによると、この時シャクルトンは南緯88度23分・東経162度に到達し、これは極点からの距離にして97海里だった。旅程全体は片道865海里の往復1730海里だったので、これからすれば微々たる距離だったという。『Endurance: An Epic of Polar Adventure』より。
  4. ^ South-Pole.comのウィルヘルム・フィルヒナーに関する記事:Wilhelm Filchner 1877-1957(2022年4月12日閲覧)
  5. ^ a b c d e f g h i j k アーネスト・シャクルトン,
  6. ^ ケアード海岸沿いにはこの他にもシャクルトンに由来する地名が少なくとも三つある。スタンコンブ=ウィルズ岬ドーソン=ラムトン氷河マクドナルド氷壁
  7. ^ これに関連する一例として、これより3年ほど前に、同じ地域周辺で氷に囲まれたウィルヘルム・フィルヒナーの船「ドイチュラント号」がある。フィルヒナーがヴァーゼル湾で基地の設立を試みたが挫折し、ドイチュラント号は北方へ移動、コーツランドの海岸からおよそ300キロメートル(200マイル)のところで浮氷に囲まれた。フィルヒナーによる1912年の大陸横断計画は終了となるも、この逆境の中南極海へ漂流しウェッデル海の北の区域で、船は6ヶ月後に氷から解放された。この厳しい試練の後も船は航行可能で、最終的にドイツへと帰還した。――South-Pole.comによる「ウィルヘルム・フィルヒナー」の記事 より。2006年12月31日検索。
  8. ^ シャクルトンは寧ろ「氷河湾」に残っていた方が良かったと書いている。この氷河湾とは、ドーソン・ラムトン氷河、マクドナルド氷壁(McDonald Ice Rumples)、スタンコンブ・ウィル岬付近の何処かを指すものと思われる。――シャクルトン著 『South』より
  9. ^ a b c d ドキュメンタリー映画『エンデュアランス号』(2000年)より。
  10. ^ フランク・ワースリー『Endurance: An Epic of Polar Adventure』1931年 W.W. Norton & Company 1999年
  11. ^ これはシャクルトン著『South』の他、2000年のドキュメンタリー映画『エンデュアランス号』の中で、隊員だったウォルター・ハウも証言している。
  12. ^ 「シャクルトンの沈没船発見 南極沖」『読売新聞』夕刊2022年4月4日8面
  13. ^ 南極探検に従事する人々の間において、同行した犬や馬の肉を消費するのは至って普通のことだった。これはアムンゼン隊、スコット隊、シャクルトン隊の何れにおいても同様である。単に追加の食料となる以上に、新鮮な肉には壊血病を防ぐ効果があることが知られていた。柑橘類と同様に、新鮮な肉には相当量のビタミンCが含まれている。
  14. ^ シャクルトンは自著『South』で触れていないが、ディセプション島は火山島であり温泉があるのも利点たりえただろう。南極圏の航海において、ディセプション島のペンデュラム入り江での温泉浴は一つの定番ハイライトとなっている。一部は熱過ぎて火傷の恐れがあるため避けねばならないほどである。
  15. ^ ワースリーは、この風について「8ベル」という言葉を聞くことも普通にあったと記している。これは、この海域の強風が、ビューフォート風力階級で計測される8階級目にあたることを意味している。――『Shackleton's Boat Journey』より
  16. ^ a b パオロ・ヴェネンザンゲリ、『Cape Horn the Terrible』 Nautica Online より。2007年1月4日検索
  17. ^ ワースリーは高さ13〜16mで波頭から波頭まで800m、時速40kmという波について述べている。ワースリー、『Shackleton's Boat Journey』より。
  18. ^ a b c d フランク・ワースリー『Shackleton's Boat Journey』1933年 W.W. Norton & Company 1998年
  19. ^ この氷河は後に氷の隆起の一種に分類し直されたため、「マクドナルド・アイス・ランプル」と改名された。
  20. ^ 1914年12月にヴァーゼル湾に到着、1915年11月までに基地を建設し、同年のクリスマスには南極点を通過して1916年3月にオーロラ号と合流する予定だった。ロス堡氷の隊に合流し、その後共にロス島へ戻ることも予想されていた。The Daily Telegraph 1916年3月25日の項目も参照。


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