サウス・ジョージア横断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 11:27 UTC 版)
「帝国南極横断探検隊」の記事における「サウス・ジョージア横断」の解説
同島の人が住む北部沿岸を航行すると、付近を支配する風で沖へ流される懸念があった。そのためシャクルトンはジェームズ・ケアード号を、風がかなり遮られているキング・ハーコン湾に接岸させることにした。目的地である捕鯨基地にたどり着くには、さらに島の内陸を通って北部海岸を横断する必要がある。しかし、付近の荒地と雪と氷河で覆われた山から成る険しい地形はその当時完全に通行不能であると考えられていた。そうはいっても捕鯨基地の一つへ着かなければならず、結果としてシャクルトンらは史上初めてサウス・ジョージア島を横断することとなった。シャクルトン、ワースリー、クリーンの3人は、他の3人の隊員達をキング・ハーコン湾へ残し、湾からサウス・ジョージア島のストロムネスへ渡った。直線では20マイル程の距離だったが、決して安路では無かった。3人は船の釘をブーツの底に付けて即席のスパイクを作り、テントやまともな装備も無いまま、地図の無い山脈を越えるという重要な任務を推し進めた。36時間後、よろめきながらもストロムネスに着いたシャクルトン達は基地責任者の家へ招かれ、彼らに畏敬の念を抱いた捕鯨船員達に、豪華な食事を与えられた。キング・ハーコン湾に残されていたマクニーシュ、マッカーシー、ヴィンセントの3人も、その翌日に救出された。
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