サウス・パスから中央山岳路へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 22:58 UTC 版)
「カリフォルニア・トレイル」の記事における「サウス・パスから中央山岳路へ」の解説
ホール砦やハンボルト川を通らない別の経路が1859年に開発された。このルートはモルモン・トレイルをサウス・パスからソルトレイクシティまで辿り、グレートソルト湖の南を過ぎてユタとネバダの中央を抜けるものだった。カリフォルニアへの旅人の多くは中央山岳路からソルトレイクシティに至りネバダの中央を横切ることで250マイル (400 km)、2週間以上も短縮できた(現在ネバダ州とユタ州を抜けるアメリカ国道50号線にほぼ相当する)。このルートは地理工学兵団のジェイムズ・H・シンプソン大尉が指揮したアメリカ陸軍の作業者チームによって発見され、測量、開発された。ユタとネバダの中央にあるグレートベースン砂漠を横切る個々の水流や泉を通っており、フンボルト川やしばしば好戦的だったインディアンを避ける意味があった。この経路のネバダ側終点はカーソンシティだった。当初泉と経路は、1856年から1857年のでっちあげのユタ戦争後に設立されたキャンプ・フロイドへの供給路として軍隊によって維持されていた。皮肉なことに、多くの者が望んだのとは真反対に、中央山岳路はより多くのカリフォルニアへの旅人をユタに導くことになり、その経済発展に貢献した。1860年までにアメリカ軍は南北戦争を戦う為にキャンプ・フロイドを放棄し、中央山岳路は彼らの唯一長期にわたる遺産となった。1860年から1861年にポニー・エクスプレス(馬による郵便配達業者)がユタとネバダを横切る中央山岳路沿いに多くの駅を建設し、この荷車、駅馬車、ポニー・エクスプレスおよび電信線が組み合わされた経路は、ナショナル・トレイルマップの上で「ポニー・エクスプレス国定歴史の道」と表示されている。後の1861年に建設された最初の大陸横断電信線はカーソンシティからソルトレイクシティまでほぼ同じ経路を使った。ソルトレイクシティからはモルモン、カリフォルニア、オレゴン・トレイルの大半を辿ってオマハに至っている。1869年に最初の大陸横断鉄道が完工した後、鉄道に沿った中継駅や電信線の方が物資の供給がしやすく維持管理も容易だったので、鉄道線に沿った電信線が主要線となった。鉄道線から逸れた電信線の大半は放棄された。
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