サウス・パスからハンボルト川へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 22:58 UTC 版)
「カリフォルニア・トレイル」の記事における「サウス・パスからハンボルト川へ」の解説
サブレット・グリーンウッド・カットオフ(1844年開通)で、ブリッジャー砦までの主要路が約50マイル (80 km) 短縮された。それはサウス・パスから約20マイルのパーティング・オブ・ウェイズ交差点で主要路と別れ、ほぼ真西に向かっていた。約10マイル (16 km) 進むと、川幅約10フィート (3 m)、深さ1フィート (30 cm) のビッグサンディ川に当たった。これは息詰まる雲の中に立ち上がる軟らかい乾燥した土壌の幅約45マイル (72 km) の砂漠の前では最後の水源であり、砂漠の向こうに現在のラ・バージの町から約4マイル (6 km) 下流に次の水源であるグリーン川があった。ここでグリーン川にはグリーン川砂漠を抜ける急峻な深さ400フィート (120 m) の水路があり、水を得るためにグリーン川に至るには急で岩の多い道を降る必要があった。ここではしばしば、喉の渇いた動物が水を得ようと暴走し、恐ろしい結果になった。その下り道は間もなく多くの荷車の破片や死んだ動物が散らばることになった。サブレット・グリーンウッド・カットオフで約50マイルが短くなったが、その代価は多くの死んだ牛や壊れた荷車ということになった。グリーン川を渡ると、ベア川流域のコークビル近くで主要路と落ち合うために山脈を越える必要があった。 グリーン川はコロラド川の主要な支流であり、大きく、深くまた力強い川である。上流では川幅が100ないし300フィート (30-90 m) あり、通常深さ3ないし50フィート (1-15 m)の所で渡れた。オレゴン・トレイルやカリフォルニア・トレイル、モルモン・トレイルが開通した後は、そこを渡す為の幾つかの渡し舟ができたが、旅する者が多い7月などは渡し舟を待つために数日待つことも多かった。主要路のグリーン川を渡った後、多くの者はスレート・クリーク・カットオフ(キニー・カットオフとも呼ばれた)を選び、グリーン川の上流約10マイル (16 km) 北に進んでからほぼ真西に折れ、サブレット・グリーンウッド・カットオフ道路に落ち合うものだった。このカットオフでサブレット・グリーンウッド・カットオフの場合にある水の無い砂漠を横切る行程の大半が除外された。 1848年以後、修繕、新しい家畜、新鮮な野菜、果物あるいはその他の物資を求める者はブリッジャー砦からソルトレイクシティなどユタの町に至るモルモン・トレイルを選ぶことができた。ソルトレイクシティはサウス・パス以降1,000マイル (1,600 km) の行程のほぼ中間にあり、経路に沿ってある唯一の意味ある開拓地だった。ソルトレイクシティからは、グレートソルト湖北端を北西に回り、現在のアイダホ州とユタ州の州境近くのシティ・オブ・ロックスで主要路に接続するソルトレイク・カットオフを使って、容易にカリフォルニア・トレイル(あるいはオレゴン・トレイル)に戻ることができた。 ランダー道路(1858年に政府契約者が建設)もブリッジャー砦を迂回し、ブリッジャー砦を通る道に比較して約85マイル (136 km) 短縮できた。これはスウィートウォーター川に沿って長く進み、サウス・パスの北で大陸分水界を越え、現在のビッグパイニーの町近くでグリーン川を渉り、続いてソルトリバー山脈を標高8,800フィート (2,680 m) のトンプソン・パスで越え、その後にスムートの町近くでスター渓谷に入るものだった。ランダー道路には良い草や水、釣り場や木材もあったが、多くの場所は険しく急峻だった。スムートからの道路は北に約20マイル (32 km) ソルト川の西岸でスター渓谷を下り、その後現在のオーバーンの町近くのスタンプ・クリークでほぼ真西に転じて、現在のアイダホ州に入り、スタンプ・クリーク流域に沿って約10マイル (16 km) 北西に進んでからほぼ90度曲がって南西のソーダ・スプリングスに至るか、あるいは真西のホール砦に向かった。
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