エレファント島へ向けた救命艇での道程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 11:27 UTC 版)
「帝国南極横断探検隊」の記事における「エレファント島へ向けた救命艇での道程」の解説
1916年4月9日、浮氷が裂けて隊のキャンプが二つに分断されたので隊員達は全員救命艇に乗り移り、結果的に移動力が増した。これにより隊員達を島へ向かわせることが可能になった。これならいつか助かると確信しつつ、シャクルトンはどこへ向かうべきか、可能な選択肢を検討した。最良の候補地は300キロメートル西方にあると思われるディセプション島だった。そこには難破した船員のための救難物資だけでなく、木造の小さな教会があるはずだったので、探検隊の大工がこれを解体すれば救命艇を改良するのに使えると思われた。他の候補地としては、3月頃には水平線上に現れたエレファント島とクラレンス島もあった。しかし覆いの無い救命艇は氷上でのキャンプに比べてはるかに過酷な環境だった。救命艇ではアザラシの肉や脂肪はおろか、氷でさえも手に入れるのが困難だったのである。また夜の気温は摂氏マイナス30度まで低下し、隊員達は常に海水でずぶ濡れだった。多くの隊員が凍傷にかかり、士気はかつてなく低下した。このためシャクルトンは最も近いエレファント島へ向かう他に選択肢はないと考え、7日後には彼らはエレファント島に到着した。
※この「エレファント島へ向けた救命艇での道程」の解説は、「帝国南極横断探検隊」の解説の一部です。
「エレファント島へ向けた救命艇での道程」を含む「帝国南極横断探検隊」の記事については、「帝国南極横断探検隊」の概要を参照ください。
- エレファント島へ向けた救命艇での道程のページへのリンク